神の大いなる愛
子どもたちに純潔の大切さを伝えるワークショップの講師を頼まれましたが、断りました。私は10代で家出をし、すさんだ生活の中で負った傷に長年苦しんだからです。結婚して最初の子どもを流産したときは、神罰が下ったと思いました。30歳でようやく神に白旗を上げたとき、私は自分の罪を告白しました。その後も何度も何度も神に謝りました。しかし、恥と罪悪感を拭うことはできず、疲れ果てていました。神の愛の賜物をいまだしっかりと受けきれていない私が、どうして人に語れるでしょう。しかし、時が経つにつれて、自分を過去に縛りつけていたうそから、徐々に解放されていきました。そしてついに、神がずっと差し出しておられた赦しを受け取ることができたのです。全ては神の恵みでした。
神をさがせ!
マーティン・ハンドフォードが1987年に発表した絵本、『ウォーリーをさがせ!』のウォーリーは、赤と白の縞柄のシャツ、同じ柄の靴下と帽子、ジーンズ、茶色のブーツ、そして眼鏡を身に着けています。ハンドフォードは、大勢の人がいるにぎやかなイラストの中にウォーリーを巧妙に隠しています。簡単には見つかりませんが、作者は必ず見つけることができると読者に約束しています。神を探すことは、ウォーリーを探すこととは違いますが、神は、必ず見つかると約束しておられます。
私たちは一つ
先祖伝来の農地を銀行に取られた数年後、デビッドは、その土地が競売にかけられると聞きつけ、大変な苦労をしてお金を工面すると、200人の村人が集う会場に駆けつけました。彼が最初の指値を入れましたが、それは高くありません。大丈夫でしょうか。デビッドはかたずをのんで、せり上げを促す声を聞いていましたが、誰一人、最後まで声を上げませんでした。村人は皆、己の事業の拡大ではなく、デビッドの事情を優先させたのです。
どこにいても人を愛する
釣りをしている夫のそばで聖書を読んでいたときのことです。若い男性が近づいてきて、釣り餌を変えた方がよいと言いました。そして、私の聖書をチラっと見るや、自分は前科者だと言い、「神は俺のような人間の心配をしてくれるかなあ」とため息をつきました。私はマタイの福音書25章を開き、牢にいる人を訪ねることに関するみことばを音読しました。彼が、そんなことが書いてあるのかと言うので、神はご自分の子どもたちに対する親切を、ご自分に対する親切と見なしていると答えました(31-40節)。
有言実行
末っ子のザビエルが幼稚園に入った時、聖書の読み聞かせを始め、みことばを適用できる状況があると聖句を教えるようにしました。息子は自然に聖句を覚え、知恵が必要な苦境では、真理の光が指し込むような言葉を口にします。ある日、私はあることに腹を立て、とげとげしい言葉を口にしました。息子はそれを聞くと私を優しく抱きしめ「ママ、自分がいつも言っているとおりにしようね」と言いました。
打たれ強い信仰
シルバーレイクの北岸に沿って立つ砂丘は、近隣の家屋を脅かしていました。住民らは侵食してくる大量の砂を取り除こうと奮闘しましたが、立派な家が眼前で砂に埋もれていくのを傍観するほかありませんでした。破壊されたコテージの瓦礫の撤去を監督していた地元の役人は、回避不能の事態だったと断言しました。どれほど頑張っても、砂丘が強固な地盤になることはありません。
アイデンティティー
アイスクリーム屋に5歳の息子と入って行くと、店員がこちらをちらりと見てから息子に差別的な言葉を投げかけました。私はメキシコ系アメリカ人として味わってきたやるかたない思いを噛みしめ、息子を引き寄せると遅れて入ってきた夫の方を振り向きました。夫は黒人です。注文すると、店員はしかめ面で返事もしませんでした。
アイデンティティー
友人は自分の写真を見ながら身体の特徴を卑下しました。そこで私は言いました。「私には、全能なる大王の愛娘が見えるわ。神と人とを愛する優しい人で、純粋な親切心や物惜しみしない態度、人を裏切らない誠実さで、多くの人の人生に違いを生み出してきた人よ」。彼女が涙ぐんだので、「あなたにはティアラが必要ね」と言い、二人でぴったりのものを手に入れました。彼女が自分のアイデンティティーを忘れないためです。
希望を語り告げる
神の子どもになった経緯を高校生のエマが語りましたが、どれが彼女の言葉で、どれが聖書の引用か分からないほど、ふたつが自然に混ざり合っていました。「まるで歩く聖書ね」とほめると、彼女はけげんな顔をしました。自分が聖句を引用していると気付いていなかったのです。聖書を読むことが日課だったので、みことばが日常の語彙になっていたようです。彼女は、神のご臨在を喜んで受け止め、神が機会をくださるときには、真理を人に優しく語ります。このような若者は、エマだけではありません。