Category  |  信仰

イエスを見た

1年で聖書を!
◆ ダニエル書10-12
聖書のみことば Ⅱコリント4:1-10

いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。―Ⅱコリント4:10

何年も前のことですが、自分ではどうすることもできない状況が起こって、ある専門職の仕事を失ってしまいました。そして、生活のために、ふたつの収入の少ない仕事をかけもちしていました。それでも、月々の生活費を賄うことは至難の業でした。そんなとき、私はジョエルとデイブという昔の友だちに再会しました。

宇宙での言葉

1年で聖書を!
◆ ダニエル書4-6
聖書のみことば エペソ3:8-13

私たちはこの[キリスト]にあり、キリストを信じる信仰によって大胆に確信をもって神に近づくことができるのです。―エペソ3:12

本当のことを告白すると、レックス・ウォルハイム飛行士がスペースシャトル・アトランティス号の最後のミッションに「デイリーブレッド」を持参すると聞いて、宇宙空間で読まれるデボーションの中に私の書いたものがあるのだろうかと調べてしまいました。そして、私の言葉が宇宙の真ん中で読まれると知り、田舎育ちの私は「すごい」と思いました。

炎の中に立つ

1年で聖書を!
◆ ダニエル書1-3
聖書のみことば ダニエル書3:10-25

私たちの仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ。神は私たちをあなたの手から救い出します。―ダニエル書3:17

祖父母のトラックの荷台で毛布にくるまりながら、炎が自分たちの家を焼き尽くす様子を眺めていました。父は、私たち兄弟とペットの子犬を抱きかかえて逃げましたが、その間、私はぐっすり眠っていたそうです。目が覚めて大きな炎を目にしたときは、すでに安全な場所にいました。恐いと感じるには幼すぎて、好奇心でわくわくしていました。

引きつけるメッセージ

1年で聖書を!
◆ エゼキエル書46-48
聖書のみことば Ⅰサムエル記3:1-10

「お話しください。しもべは聞いております」―Ⅰサムエル記3:10

照明を落としたホールで、コンサートか映画を楽しんでいたとします。すると、近くの席でスマートフォンのスクリーンが光り、持ち主がその場でメールを読み、返信までしています。

義務から喜びへ

1年で聖書を!
◆ エゼキエル書40-42
聖書のみことば 詩篇119:41-48

私は、あなたの仰せを喜びとします。それは私の愛するものです。―詩篇119:47

妻は忙しいので、孫たちとなかなかゆっくり過ごせません。ですから、時間ができると予定を組み直し、孫たちとできるだけ一緒にいようとします。義務感からではありません。孫が可愛いからです。孫と一緒の妻を見ていると、「喜び」という言葉の意味が分かります。

必要なお方

1年で聖書を!
◆ エゼキエル書37-39
聖書のみことば Ⅱコリント1:1-7
 
私たちの主イエス・キリストの父なる神、慈愛の父、すべての慰めの神がほめたたえられますように。―Ⅱコリント1:3

胸が痛む話はつきません。友人の娘は、自分の夫と子どもたちを捨てて、家出したそうです。先日は、自動車事故で10代の息子を亡くした父親たちが集まる被害者の会に出かけました。私たちの教会の大黒柱だった人は、退職してから次々に病に襲われています。あなたの身近にも、そういう人がいますか。もしかしたら、あなた自身が、そのひとりかもしれません。

痛みと苦しみが信仰を揺るがし、ささやかな喜びさえ奪っていくとき、私たちは、どこに助けを求めれば良いのでしょう。コリント人への手紙第二1章3節は、そのことを教えています。このみことばは、大いなる助けであり、希望と可能性に満ちています。

このみことばが示すものを吟味してください。使徒パウロは、2段階で神をほめたたえています。(パウロの抱えていた多くの苦難や問題は、私たちの比ではありませんでした。)まずひとつめに、パウロは、純粋に神を賛美しています。神は、単に私たちの神であられるだけでなく、主イエスの神であり、御父です。どれほど大きな愛と力のあるお方であるか、考えてください。

そして次に、さらに素晴らしいメーセージは、天の御父が慈愛の父であることです。御父は、とこしえの慈悲を私たちに注いでくださいます。さらに、御父はすべての慰めの神です。

同情や慰めが必要ですか。神のもとに行きましょう。神は、尽きない恵みをあなたの上に豊かに注いでくださいます。苦難のときに必要なお方は、この主なる神です。

(Dave Branon)

神の慰めのささやきは、試練のざわめきを静めてくれる。

単独飛行

1年で聖書を!
◆ エゼキエル書31-33
聖書のみことば ヨハネ14:15-27
 
あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。―Ⅰコリント3:16

チャールズ・リンドバーグは1927年5月20日から21日にかけて、大西洋単独無着陸飛行をしました。大西洋を飛行機で横断した人たちはそれまでにもいましたが、単独でこれを成し遂げた操縦士はひとりもいませんでした。これは、航空史上初の快挙でした。パリのル・ブルジェ空港に着陸するとリンドバーグは、拍手喝采する大勢の人に取り囲まれました。アメリカに帰国すると、祝賀パレードや勲章の授与といった栄誉を受け、孤独に耐え抜いた勇気と精神力がほめたたえられました。

リンドバーグの単独飛行は危険でしたが、この世の人生は、それ以上に危険だといえます。しかしクリスチャンは、人生の旅路を単独飛行する必要は決してないという事実に励まされ、慰められます。十字架につけられる前夜、主イエスは、決して私たちを見捨てることをせず、私たちに聖霊を与えてくださり、いつも共にいてくださると約束してくださいました(ヨハ14:16-17)。そして使徒パウロは、「あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか」と語っています(Ⅰコリ3:16)。

聖霊は私たちの内に住んでおられ、主の平安と慰めを与えてくださいます(ヨハ14:26-27)。ですから、絶望と苦難に満ちた世界で、私たちは勇気を奮い起こします。「単独飛行」をすることは決してありません。何とありがたいことでしょう。

(Bill Crowder)

内に住まわれる御霊が、私たちが決してひとりでないことを保証してくれる。

グッド&プレンティ

1年で聖書を!
◆ エゼキエル書28-30
聖書のみことば 詩篇16
 
「あなたこそ、私の主。私の幸いは、あなたのほかにはありません。」―詩篇16:2

私は、大の甘党です。キャンディの中では「グッド&プレンティ」がお気に入りです。砂糖をまぶしたリコリスキャンディのひと握りが、私を上機嫌にしてくれます。

人生には良いことがたくさんありますが、「グッド&プレンティ」を楽しむときと同じで、その興奮は、じきに失われてしまいます。最高に良いことでさえ、後から虚しさを感じたり、後悔することさえあります。ですから私は、詩篇の作者が「私は、主に申し上げました。『あなたこそ、私の主。私の幸いは、あなたのほかにはありません』」(詩16:2)と宣言しているのを読むと、興味をそそられます。私たちは誰もが、神が良いお方であることを知っています。しかし、「私の幸いは本当にイエスさまだけだなあ」としみじみ思ったのは、いつのことだったでしょう。

詩篇の作者は、神がどれほど良いお方であるかを、次のように説明しています。まず神は、私たちの保護者です(1節)。すべての幸いの与え主(2節)、助言と指示を与えてくださいます(7節)。神は、「いのちの道」を知らせてくださり、御前にある喜びで満たしてくださいます(11節)。

私たちは残念なことに、神が私たちに賜るとこしえの幸いを十分に受け取っていません。自分の「小さな幸い」に邪魔をさせているのです。その「小さな幸い」は、来ては去るはかない性質を持っているので、必ず、私たちは失望させられます。神だけが、本当の幸いです。すべての必要を満たして余りあるお方です。

(Joe Stowell)

神だけが良いお方だ。それ以外のもので満足してはいけない。

指示を与える

1年で聖書を!
◆ エゼキエル書22-24
聖書のみことば マタイ28:16-20
 
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」―ヨハネ14:6

少し前のことですが、家内の車を牽引してもらうことになりました。業者に電話をして、我が家への道を説明し、カーナビは使わないようにと運転手に伝言して欲しいと言いました。なぜなら、同じ名前の道路が畑を隔てて存在するので、カーナビ頼りでは道に迷ってしまうからです。電話の相手は運転手に必ず伝えますと言いました。

ところが、家の前に立ってレッカー車の到着を待っていると、運転手から電話があり、カーナビを見ながら来たが道に迷ってしまったと言いました。「やはり」と思いながら道案内をしたところ、ようやくレッカー車が到着しました。

クリスチャンは、天国への行き方に関する正確な情報、つまり、「イエスと個人的な関係を結ぶことによって天国に入ることができる」という事実を提供しなければなりません(ヨハ3:16、Ⅰコリ15:1-5参照)。善行を積むとか、できるだけ良い人になる、というような自分勝手な宗教観に従っていっても天国には行けないことを、きちんと教えてあげなければなりません。相手の宗教に配慮しつつ、私たちは、キリストの死、埋葬、そして復活という真の福音を伝えなくてはなりません。イエスが、「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません」(ヨハ14:6)と、はっきりおっしゃったのですから。

(Dennis Fisher)

救いは人の力で到達できるものではなく、キリストの贖罪によって与えられる恵みだ。