引きつけるメッセージ
◆ エゼキエル書46-48
照明を落としたホールで、コンサートか映画を楽しんでいたとします。すると、近くの席でスマートフォンのスクリーンが光り、持ち主がその場でメールを読み、返信までしています。
必要なお方
◆ エゼキエル書37-39
胸が痛む話はつきません。友人の娘は、自分の夫と子どもたちを捨てて、家出したそうです。先日は、自動車事故で10代の息子を亡くした父親たちが集まる被害者の会に出かけました。私たちの教会の大黒柱だった人は、退職してから次々に病に襲われています。あなたの身近にも、そういう人がいますか。もしかしたら、あなた自身が、そのひとりかもしれません。
痛みと苦しみが信仰を揺るがし、ささやかな喜びさえ奪っていくとき、私たちは、どこに助けを求めれば良いのでしょう。コリント人への手紙第二1章3節は、そのことを教えています。このみことばは、大いなる助けであり、希望と可能性に満ちています。
このみことばが示すものを吟味してください。使徒パウロは、2段階で神をほめたたえています。(パウロの抱えていた多くの苦難や問題は、私たちの比ではありませんでした。)まずひとつめに、パウロは、純粋に神を賛美しています。神は、単に私たちの神であられるだけでなく、主イエスの神であり、御父です。どれほど大きな愛と力のあるお方であるか、考えてください。
そして次に、さらに素晴らしいメーセージは、天の御父が慈愛の父であることです。御父は、とこしえの慈悲を私たちに注いでくださいます。さらに、御父はすべての慰めの神です。
同情や慰めが必要ですか。神のもとに行きましょう。神は、尽きない恵みをあなたの上に豊かに注いでくださいます。苦難のときに必要なお方は、この主なる神です。
神の慰めのささやきは、試練のざわめきを静めてくれる。
単独飛行
◆ エゼキエル書31-33
チャールズ・リンドバーグは1927年5月20日から21日にかけて、大西洋単独無着陸飛行をしました。大西洋を飛行機で横断した人たちはそれまでにもいましたが、単独でこれを成し遂げた操縦士はひとりもいませんでした。これは、航空史上初の快挙でした。パリのル・ブルジェ空港に着陸するとリンドバーグは、拍手喝采する大勢の人に取り囲まれました。アメリカに帰国すると、祝賀パレードや勲章の授与といった栄誉を受け、孤独に耐え抜いた勇気と精神力がほめたたえられました。
リンドバーグの単独飛行は危険でしたが、この世の人生は、それ以上に危険だといえます。しかしクリスチャンは、人生の旅路を単独飛行する必要は決してないという事実に励まされ、慰められます。十字架につけられる前夜、主イエスは、決して私たちを見捨てることをせず、私たちに聖霊を与えてくださり、いつも共にいてくださると約束してくださいました(ヨハ14:16-17)。そして使徒パウロは、「あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか」と語っています(Ⅰコリ3:16)。
聖霊は私たちの内に住んでおられ、主の平安と慰めを与えてくださいます(ヨハ14:26-27)。ですから、絶望と苦難に満ちた世界で、私たちは勇気を奮い起こします。「単独飛行」をすることは決してありません。何とありがたいことでしょう。
内に住まわれる御霊が、私たちが決してひとりでないことを保証してくれる。
グッド&プレンティ
◆ エゼキエル書28-30
私は、大の甘党です。キャンディの中では「グッド&プレンティ」がお気に入りです。砂糖をまぶしたリコリスキャンディのひと握りが、私を上機嫌にしてくれます。
人生には良いことがたくさんありますが、「グッド&プレンティ」を楽しむときと同じで、その興奮は、じきに失われてしまいます。最高に良いことでさえ、後から虚しさを感じたり、後悔することさえあります。ですから私は、詩篇の作者が「私は、主に申し上げました。『あなたこそ、私の主。私の幸いは、あなたのほかにはありません』」(詩16:2)と宣言しているのを読むと、興味をそそられます。私たちは誰もが、神が良いお方であることを知っています。しかし、「私の幸いは本当にイエスさまだけだなあ」としみじみ思ったのは、いつのことだったでしょう。
詩篇の作者は、神がどれほど良いお方であるかを、次のように説明しています。まず神は、私たちの保護者です(1節)。すべての幸いの与え主(2節)、助言と指示を与えてくださいます(7節)。神は、「いのちの道」を知らせてくださり、御前にある喜びで満たしてくださいます(11節)。
私たちは残念なことに、神が私たちに賜るとこしえの幸いを十分に受け取っていません。自分の「小さな幸い」に邪魔をさせているのです。その「小さな幸い」は、来ては去るはかない性質を持っているので、必ず、私たちは失望させられます。神だけが、本当の幸いです。すべての必要を満たして余りあるお方です。
神だけが良いお方だ。それ以外のもので満足してはいけない。
指示を与える
◆ エゼキエル書22-24
少し前のことですが、家内の車を牽引してもらうことになりました。業者に電話をして、我が家への道を説明し、カーナビは使わないようにと運転手に伝言して欲しいと言いました。なぜなら、同じ名前の道路が畑を隔てて存在するので、カーナビ頼りでは道に迷ってしまうからです。電話の相手は運転手に必ず伝えますと言いました。
ところが、家の前に立ってレッカー車の到着を待っていると、運転手から電話があり、カーナビを見ながら来たが道に迷ってしまったと言いました。「やはり」と思いながら道案内をしたところ、ようやくレッカー車が到着しました。
クリスチャンは、天国への行き方に関する正確な情報、つまり、「イエスと個人的な関係を結ぶことによって天国に入ることができる」という事実を提供しなければなりません(ヨハ3:16、Ⅰコリ15:1-5参照)。善行を積むとか、できるだけ良い人になる、というような自分勝手な宗教観に従っていっても天国には行けないことを、きちんと教えてあげなければなりません。相手の宗教に配慮しつつ、私たちは、キリストの死、埋葬、そして復活という真の福音を伝えなくてはなりません。イエスが、「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません」(ヨハ14:6)と、はっきりおっしゃったのですから。
救いは人の力で到達できるものではなく、キリストの贖罪によって与えられる恵みだ。
馬のアイマスク
◆ エゼキエル書19-21
私たちの家からさほど遠くないところに、多くの馬を飼育する牧場があります。ある季節になると、目にマスクをかけられた馬を見かけます。私は長い間、目隠しをされるなんてずいぶん可哀想だと思ってきましたが、最近、そうではないことが分かりました。実は、目にかけられたアイマスクは網状の布で作られていて、目隠しではないのです。馬は見ることができます。一方で、馬の眼病の原因になるハエは、目にたかることはできません。アイマスクは、馬の視界を遮るためではなく、馬が病気で盲目になるのを防ぐためのものでした。
クリスチャンでない人は、聖書に関して同じような誤解をしがちです。この人たちは、世の楽しみを見せないように、神が聖書というアイマスクを人の目にかけるのだと考えます。そして、人生をエンジョイできないクリスチャンは可哀想だと思います。私が馬のアイマスクについて本当のことを知らなかったように、彼らは聖書について本当のことを知りません。聖書は、良いものを見ることを妨げるものではありません。うそ偽りに侵されて霊の目が見えなくならないように、私たちを守ってくれているのです。聖書は人生をエンジョイさせないのではなく、最高の人生を可能にしてくれるものです。
聖書は、真実を知るのを妨げるのではなく、うそを信じさせられることを防いでくれます。
神のみことばのフィルターを通してこの世を見れば、神と世についての真理が学べる。
あなたの心
◆ エゼキエル書15-18
まだ7歳になったばかりのマルコムが、教会のみんなの前で祈りました。彼は100人の子どもたちの前に立ち、「イエスさま、僕たちがサッカーをして、教会に来れたことを感謝します。車で来る間、守ってくださったこと、僕たちの罪を赦してくれたこと、永遠のいのちをくださったことを感謝します。イエスさま、大好きです。僕たちが、こんなにイエスさまを愛していることを、決して忘れないでください」と祈りました。素晴らしい祈りでした。
彼が自分の気持ちをストレートに神に伝えているのを聞いていると、涙がこぼれました。大人は、神、もしくは周りの人たちを気にして、聞こえの良い祈りをしようと言葉を選びがちです。しかし神は、ご自分の子どものストレートな思いを聞くことを喜ばれるはずです。
ネヘミヤは、郷里エルサレムの状況が心配でたまりませんでした。なぜなら、町の城壁は壊され、人々はひどく困窮していると聞いていたからです(ネヘ1:3)。彼は何かしたいと思って、神にそう語りました。彼は神の品性をほめたたえ(5節)、罪の赦しを請い(6節)、ご自分の民になさった約束を思い出してください、と祈りました(9節)。そして、ペルシヤ王があわれんでくれるように祈りました(11節)。神は、ネヘミヤたちがエルサレムの城壁を再建する間中、彼らを見守ってくださいました。
あなたの心の内には何がありますか。感謝ですか、それとも重荷ですか。どちらであったにせよ、いつくしみ深い神は、あなたの心の思いを聞きたいと思っておられます。
最高の祈りというものは、謙虚な心から生じる。