見せかけ
ケリーは良い人であろうと一生懸命です。彼女はいつも明るく元気です。そうすれば、みんなが喜びに満ちた態度を見て、褒めてくれるからです。また、地域の人々に親切にしているので、それを褒める人もいます。しかしケリーは、自分は神を愛しているけれど、自分の行為が見せかけのように感じることがあると言います。良い人でいようと頑張る姿の裏には、自分に対する自信の無さがあり、今までのように続けていくことに疲れを感じると告白します。
監視カメラ
近所の警察署が、信号無視のドライバーを写すために監視カメラを取り付けました。違反者のところには後日、赤信号を横断する車の写真と一緒に違反切符が郵送されてきます。この写真は、交通違反の動かぬ証拠です。
時として、神は監視カメラと同じだと感じることがあります。神は天におられて、私たちが悪いことをする現場を押さえようと見張っておられると思ってしまいます。確かに、主は私たちの罪を見ておられますが(ヘブ4:13)、同時に、良い行いにも関心をもってくださいます。教会に献金したり、困っている人に金銭的な支援をしたりしたときも、どの程度の犠牲を払ってそうしたかを見ていてくださいます(マコ12:41-44)。誰も知らない個人的な祈りも聞いてくださいますし(マタ6:6)、思うところあって断食するときも、隠れたところにおられる天の父が見られると確信して(18節)、辛さを見せずに通常の生活を続けることができます。
主がすべてを見ておられることが分かると、世間の目が気にならなくなります。正しいことをするなら、人に誉められようが誉められまいが関係ありません。罪を犯してしまったときも、神に告白して赦していただき、被害者に対してもすべきことをきちんとするなら、周りの人に何と言われるだろうかと思い悩む必要はありません。「主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです」(Ⅱ歴16:9)というみことばをいただき、平安に過ごしましょう。
価値あるものへ
アップル社の共同設立者であるスティーブ・ジョブズは、ガンと闘う中で次のように語りました。「もうすぐ死ぬという意識は、今までに巡り合った何よりも重要なツールだ。人生の大きな決断を助けてくれる。ほとんどすべてのもの、つまり、人の期待、自尊心、恥や失敗に対する恐れなどは、死を前にして剥がれ落ちていき、自分にとって本当に大切なものだけが残る。」彼の苦しみは、彼の選択に用いられました。
使徒ペテロが手紙に書いていることは、それとは対照的です。彼は、今の苦しみは自らの人生に永遠の価値を持たせるために用いなさい、と述べています。イエスの苦しみと死を知って信仰にいのちが吹き込まれ、イエスの御名を信じているがゆえの戦いや迫害を引き受けることができるように願っていたのです。手紙の読者たちはイエスを愛したので、苦しむことが当たり前になっていくでしょう。イエスの苦しみは、罪深い情熱を捨て去って、神のみこころに従順になる動機づけとして用意されていたのです(Ⅰペテ4:1-2)。人生に永遠の価値を持たせるには、はかない楽しみにふけるのをやめ、神を喜ばせることのために、自分の人生を使い果たさなければなりません。
イエスが私の罪を赦すために苦しみ、死なれたことを意識することこそが、今日、敬虔な人生を選択しようと自らを奮い立たせるために重要です。これを意識することこそが、自分の人生に永遠の価値を持たせるために大切なのです。