クリスマスの旅
◆ オバデヤ書
◆ 黙示録9
ナザレからベツレヘムまで、どのくらいの距離でしょうか。もし、これがアメリカのペンシルベニア州のナザレから同州のベツレヘムまでなら、15キロメートル足らずです。車で10分ほどの距離です。しかし、身重の妻と一緒に出かけたヨセフのように、ガリラヤのナザレからユダのベツレヘムまで行くのなら、130キロメートル近くあります。ヨセフと妻マリヤは、おそらく一週間ほどかけて、そこに到着したことでしょう。けれども、快適なホテルで過ごしたわけではありません。ヨセフは家畜小屋しか見つけられず、そこでマリヤは「男子の初子」を産んだのです(ルカ2:7)。
何と素晴らしいことか
◆ ゼパニヤ書1-3
◆ 黙示録16
ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れ、―マタイ1:24
マタイやルカの福音書に記されたクリスマス物語は、あまりにも馴染み深いので、実際のできごとを真に迫って捉えることが難しいかもしれません。御使いが、聖霊の力によって身ごもると若い処女に予告し(ルカ1:26-38)、その婚約者には彼女を妻に迎えるように告げました。そして、生まれる子は「ご自分の民をその罪から救ってくださる」(マタ1:21)お方なので、イエスと名付けるようにと言われました。また、御使いが空に現れて、ベツレヘムに救い主がお生まれになったと羊飼いたちに告げられました(ルカ2:11)。そして東方の博士たちは、何百キロもの旅をして「ユダヤ人の王としてお生まれになった」(マタイ2:2)お方を拝みに来たのです。よく考えれば、このどれをとっても、非常に驚くべきことです。
地に平和とは?
◆ ハバクク書1-3
◆ 黙示録15
わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。―ヨハネ14:27
天の軍勢を挑発するつもりはありませんが、ベツレヘムの外で羊の番をしていた羊飼いたちに約束した平和はどうなったのだろうと、正直のところよく思います。過去2千年間、世界が平和だったことはほとんどありません。戦争は多くの人々の生命を相も変わらず奪っていますし、家庭内での惨事が後を絶たず、離婚率は高くなる一方で、教会も一致できません。私たちのわがままでいらいらした心にとって、平和は幻想的な夢のようです。あの約束された平和はどこにいったのでしょう。
クリスマスは、神の癒し
◆ ナホム書1-3
◆ 黙示録14
恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。―ヨハネ1:17
かかりつけの医者から電話があって、深刻な声で「できるだけ早く来てください。お話があります」と言われたら、それは悪い知らせだと気づきます。最初の反応は「いや、知りたくない」かもしれませんが、結局は話を聞きに行くでしょう。なぜなら、診断を知ってこそ治療方法がわかるからです。
ブルドッグの目線で
◆ ミカ書6-7
◆ 黙示録13
わたし、主は……あなたを召し、……囚人を牢獄から、やみの中に住む者を獄屋から連れ出す。―イザヤ書42:6-7
息子夫婦が飼っているブルドッグは、54キロのたくましい体で、恐ろしい顔をしています。名前は「バディ(相棒)」ですが、私をなかなか信用してくれません。私に近寄ろうともせず、遠く離れて、私の目を見ようともしません。しかしある日しゃがんでみると、下膨れのバディの顔がゆるむのに気づきました。バディは私を恐れなくてよいと分かったようです。嬉しそうに走って来ると、大きな前足を上げて私に飛びつき、筋肉の盛り上がった首を伸ばして、なでてくれとねだります。