1年で聖書を!
◆ ミカ書6-7
◆ 黙示録13
聖書のみことば イザヤ書42:1-7

 
わたし、主は……あなたを召し、……囚人を牢獄から、やみの中に住む者を獄屋から連れ出す。―イザヤ書42:6-7


息子夫婦が飼っているブルドッグは、54キロのたくましい体で、恐ろしい顔をしています。名前は「バディ(相棒)」ですが、私をなかなか信用してくれません。私に近寄ろうともせず、遠く離れて、私の目を見ようともしません。しかしある日しゃがんでみると、下膨れのバディの顔がゆるむのに気づきました。バディは私を恐れなくてよいと分かったようです。嬉しそうに走って来ると、大きな前足を上げて私に飛びつき、筋肉の盛り上がった首を伸ばして、なでてくれとねだります。

バディのことを考えると、神がしてくださったことが少しだけ分かるような気がします。神は私たちのレベルに下りて来られ、キリストという人になって私たちと共に住んでくださいました。私たちの祖先が罪を犯して、神から身を隠そうとしたあの日から、私たちはいと高き聖なるお方のみもとに行くことを恐れるようになりました(ヨハ3:20)。
 

そこでイザヤの預言どおり、神はご自分を低くされました。私たちを招くためには、どこまでも下りてきてくださると示されたのです。間違った考えに凝り固まっていた私たちを解きほぐすために、創造主は人の世を生き、死んでいかれました。身分の低いしもべになってです。

神は今もなお、闇に住む人をその牢獄から救い出すために(イザ42:7)、そして、私たちを友と呼ぶために(ヨハ15:15)、私たちを説得しておられます。そこまでしてくださる神を信頼することが怖いなどと、どうして言うことができるでしょう。

(Mart De Haan)

いと高き聖なるお方が、弱く卑しい者になってくださった。