あなたの手には何があるか
◆ エゼキエル書35-36
◆ Ⅱペテロ1
主は彼[モーセ]に仰せられた。「あなたの手にあるそれは何か。」―出エジプト記4:2
機会を逃したときにひどく落ち込んだり、将来のことを心配したりする傾向があるなら、自分にこう質問してください。「自分のすぐ前には何があるのだろう。」つまり、今、どのような状況や人間関係が与えられているのかを考えるのです。この質問は、過去を後悔したり、未来を恐れたりすることから意識をそらし、あなたの人生にとって、神がおできになることは何かという点に立ち帰らせてくれます。
前進しつづける
◆ イザヤ書53-55
◆ Ⅱテサロニケ1
何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。―コロサイ3:23
エナジャイザー・バニー(大手電池メーカー「エナジャイザー社」のマスコット)もRBCミニストリーズの「サービス・パートナー」たちにはかないません。『デイリーブレッド』を発行しているRBCには「サービス・パートナー」というボランティアの人たちがいて、自分の技術や時間を神にささげて奉仕しています。この方々は「人生を変える聖書の英知をすべての人に分かりやすく伝える」というRBCのミッションを、ともに遂行しているのです。
援助の手
◆ イザヤ書43-44
◆ Ⅰテサロニケ2
彼女は悩んでいる人に手を差し出し、 ―箴言31:20
ジョニー・ロングデンは1930~40年代に活躍した騎手ですが、あるとき、レースの最中に落馬しそうになりました。他の馬がとどろきをあげてやってくる中、自分の馬の横腹にずり落ちたのです。しかし、別の馬に乗っていた騎手が彼の窮地を見ました。そして手を差し出し、ロングデンを馬の背中に押し戻そうとしました。ところが強く押されすぎたので、ロングデンは反対側に落ちそうになりました。すると今度は、反対側にいた別の騎手が彼をつかみ、馬の背中に安全に戻すことができました。驚くべきことに、ジョニー・ロングデンは、このレースに勝ったのです。新聞は「究極の不可能」と呼びました。
忘れられた働き人
◆ イザヤ書1-2
◆ ガラテヤ5
神は正しい方であって、あなたがたの行いを忘れず、あなたがたがこれまで聖徒たちに仕え、また今も仕えて……示したあの愛をお忘れにならないのです。―ヘブル6:10
世界中の人々はラッシュモア山のことをよく知っています。それはサウスダコタ州にあり、崖面には4人の元アメリカ合衆国大統領の巨大な顔が彫られています。ラッシュモア山を知る人が大勢いる一方で、ドアン・ロビンソンという名前を知っている人は、比較的少ないと思います。彼は南ダコタ州の歴史家ですが、巨大な彫刻のアイデアを思いつき、このプロジェクトを実行に移した人でした。このモニュメントは評価され、賞賛されましたが、彼自身は忘れられました。彼の名は、傑作の影で認知されることも、覚えられることもあまりなかったのです。
生き方の大切さ
◆ 詩篇77-78
◆ ローマ10
神のみことばをあなたがたに話した指導者たちのことを、思い出しなさい。…その信仰にならいなさい。―ヘブル13:7
アイザック・ハン牧師は18世紀中頃、英国のラフウッドの小さな教会に奉仕していた無名の牧師です。引退したときの教会員は、女性26名と男性7名(礼拝出席は4名)でした。
マスメディアや巨大教会が幅をきかせる今日、アイザック・ハンのことを牧師として成功した人だと誰が言うでしょう。むしろ、牧会者としては、もうひとつだったと考えられるのではないでしょうか。このような人は、牧師の研修会や会議の講師として招かれることはないでしょう。また、教会成長に関する論文を発表することもないでしょう。
ただ引退するのではなく
◆ 詩篇31-32
◆ 使徒23:16-35
その人はただ、……自分の同族の者が任務を果たすのを助けることはできるが、
―民数記8:26
世界最高峰のエベレスト山に初登頂したのはエドモンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイのふたりで、それは1953年のことでした。ヒラリーは33歳でこのような偉業をなし、富と名声、そして、偉大な人生を歩んだ充足感を得ました。ヒラリーはその後の55年間、何をしたのでしょう。成功に安んじて、楽隠居をしたでしょうか。いいえ、まったく違います。
かかわりの代価
◆ ヨブ記41-42
◆ 使徒16:22-40
……ほかに、日々私に押しかかるすべての教会への心づかいがあります。―Ⅱコリント11:28
映像作家のケン・バーンズたちは、第二次世界大戦のドキュメンタリー映画を作ろうと、長時間、戦時中の記録フィルムを見ました。夜眠ってからもしばしば、多くの死傷者を出した「ペリリューの戦い」のシーンが夢に出てきました。バーンズは、サクラメント・ビー紙のリック・カッシュマン記者に次のように語りました。「今、聞いているのは、亡くなった霊と言葉では言い表せない過去のこだまだ。それは、大きな感情の渦に飛び込んでいくようなものだよ。」