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立入禁止

1年で聖書を!
◆ エレミヤ書27-29
聖書のみことば ローマ5:1-8
 
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。―ヨハネ3:16

私が12才の時、父は製紙工場を定年になり、退職記念に木箱に入った聖書をもらいました。私は箱に書かれた「聖」という文字を見て、「立入禁止」と言われたように感じました。それでも私は好奇心を抑えられず、中を覗いてみると、表紙には十字架にかけられたイエスの絵とヨハネの福音書3章16節のみことばがありました。

壁を壊す

1年で聖書を!
◆ イザヤ書52-54
聖書のみことば エペソ2:14-18
 
信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。またキリストによって、……信仰によって導き入れられた……―ローマ5:1-2

東ドイツに50数年前に住んでいた人たちにとって、「壁」という言葉は、どこにでもある普通の壁を意味するのではなく、1961年8月13日に建設が始まった東西ドイツを分断する壁のことでした。やがてその「壁」は有刺鉄線と武装した警備員たちによって守られ、向こう側に行くことはほとんど不可能になりました。

捜して救う

1年で聖書を!
◆ イザヤ書43-45
聖書のみことば ルカ19:1-10
 
人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。―ルカ19:10

オーストラリアのニュー・サウス・ウェールズ州の総督を1810年から1821年まで務めたラクラン・マッコーリーは、全員一致の新しい入植地を作るという方針を打ち出しました。

リコール通知

1年で聖書を!
◆ イザヤ書13-15
聖書のみことば 使徒3:13-21
 
あなたがたの罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて、―使徒3:19

自動車メーカー各社は2010年、米国内で2千万台もの車をリコールしました。これほど多くの欠陥車が路上を走っていたこと自体驚きですが、それ以上に不安なのは、一部の人たちの無関心さです。自動車安全センターの役員が、「修理は無料です。受けてください。

無知と無罪

1年で聖書を!
◆ 詩篇109-111
聖書のみことば ローマ5:12-21
 
罪が死によって支配したように、恵みが、私たちの主イエス・キリストにより、義の賜物によって支配し、永遠のいのちを得させるためなのです。―ローマ5:21

病気が見つかるのが嫌で医者のところに行くのを拒む人がいます。同じような理由で教会に行くのを嫌がる人もいます。しかし、自分の病気に目をつぶっていることで健康にはなれません。自分の罪に目をつぶっているから無罪というわけでもありません。

天国へ行く

1年で聖書を!
◆ 詩篇43-45
聖書のみことば ローマ3:21-28
 
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも……救われます」―使徒16:31

教会学校の夏期聖書キャンプで小学校3、4年生の担当をしました。最後の日には、参加者25名の子どもたち全員にプレゼントをあげるつもりでした。しかし子どもたちには、どうすれば天国に行けるかを話してくれたらプレゼントをあげようと言いました。

間違った考え

1年で聖書を!
◆ 詩篇19-21
聖書のみことば ローマ5:12-21
 
私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。―ローマ5:8

パイロット、教授、牧師、バックパッカーの若者の4人が乗っている小型飛行機のエンジンが故障しました。パイロットは「パラシュートは3つだ。これは私の飛行機だから、使わせてもらうよ」と言ってパラシュートをつけて脱出しました。次に教授が「私の頭脳を世界が必要としている。だから、パラシュートをもらうよ」と言って飛び出しました。

私の方法?

1年で聖書を!
◆ Ⅱ歴代誌23-25
聖書のみことば 箴言16:20-25
 
人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。―箴言16:25

あり得ない対決について考えてみましょう。例えば、小学1年生とアインシュタインが相対性理論について討論する、あるいは、中学生とジョージ・ワシントン・カーバーが生物工学について議論する…。このような対決は愚かなことです。一方は一流の専門家で、もう一方は、そのことについて仮に知っていたとしても、ごくわずかな知識しか無い人です。

十字架に駆けよう

1年で聖書を!
◆ Ⅱ列王記7-10
聖書のみことば ヘブル10:28-39
 
生ける神の手の中に陥ることは恐ろしいことです。―ヘブル10:31

津波警報が出るたびに、ハワイのマウイ島北岸のハナに住んでいる人たちは、山腹を駆け上がって安全な所に逃れます。近くに昔、宣教師が建てた木製の高い十字架があって、人々は我が身の安全を願って、その十字架のもとに駆け上がってくるのです。

私たちには身の保全だけでなく、霊的に安全な場所も必要です。なぜかというと、神が警告しておられるからです。