からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。―Ⅰコリント12:25
私たち夫婦の乗った飛行機は、砂利を引いた滑走路に着陸しました。機内から出ると、そこはケニヤのマサイマラです。私たちはマサイ族の世界に降り立ちました。サミーと名乗るマサイ族の男性が私たちを迎えに来ていました。彼は私たちの荷物をジープに積み込むと、この二日間を過ごすキャンプ場に向かいました。
主にかなった歩みをして、―コロサイ1:10
色々な教会が入り口にスローガンを掲げていますが、私はそれを見るのが好きです。つい最近、「どうぞ、お入りください。そして、神がおられることを感じてください!」というスローガンを見かけ、その言葉に注意を引かれました。なぜならば、これは教会が人々に提示している大切な約束ですが、守るのが難しい約束でもあるからです。気をつけていなければ、教会は神のご臨在を感じさせる場所ではなく、私たちの存在ばかりがクローズアップされる場所になってしまうからです。
彼らは使徒たちの教えを堅く守り、―使徒2:42
日曜日、よい天気だったので、教会から帰ってから散歩をしました。庭の芝を刈っていた男性を見かけたので、「こんにちは、ご機嫌いかが?」と挨拶をしました。すると彼は「ありふれた日曜日さ」と、つまらなさそうに言いました。なぜ、あんなふうに言ったのでしょう。型どおりの家庭サービスをこなしているという意味だったのでしょうか。