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何のかかわりがありますか

母の日礼拝などで特別賛美をするとき、子どもたちが指揮者に注意を向けることはありません。もじもじしたり、隣の子をつついたり、会衆の中に親を探そうときょろきょろしたりします。もちろん、口を動かして歌っているときもありますが、それでも指揮者を見てはいません。とはいえ、このような子どもの様子は可愛らしいものです。

一方、大人の聖歌隊は違います。全員がきちんと指揮者に注目しなくてはなりません。美しい賛美は、こうしてひとつになることによって初めて可能だからです。

私たちクリスチャンは、子どもたちの特別賛美のようではないでしょうか。まわりの人に気を取られて、人生の指揮者であられるイエスにしっかりと注目していないのではないでしょうか。

イエスは、ペテロのこのような態度を正されました。ペテロは、自分の将来について聞かされた後、「この人はどうですか」と尋ねました。するとイエスは「それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい」と答えられました(ヨハ21:21-22)。

私たちは、人のことが気になって心が乱れることがあります。自分に備えられた神のご計画を他人のものと比べて、うらやましく思うことがあります。しかし、すべての人に備えられた神のご計画の本質は同じです。それはすなわち、イエスに従うことです。イエスをしっかりと見つめましょう。そうすれば、他人のことを気にして心を乱すことはなくなります。

小休止

バルセロナから車で2時間ほど北にあるレストラン「エル・ブリ」は人気店で、6カ月先の予約まで一杯です。ところが、オーナーシェフのフェラン・アドリアは、多数の賞に輝いたこの店を2年間閉めることにしました。スタッフと一緒に将来のことをゆっくりと考え、革新的な計画を立てるためです。アドリアはヘミスフィア・マガジンの取材に答えて「いくつもの賞を取っているのになぜ変革するのか」と質問され、「毎日15時間も働いていたら、創造的なことはほとんどできません」と答えました。この人たちは、成功のただ中にあって最も大切なものを優先し、それに十分な時間を取ろうとしていたのです。

紀元1世紀のアンテオケの教会は、「…大ぜいの人が信じて主に立ち返った」(使11:21)ために、驚異的な発展をとげました。バルナバは新しく信じた人たちを教えるために、サウロ(後のパウロ)をタルソから連れて来ました(25-26節)。彼らは熱心に奉仕しましたが、それと平行して祈りと断食の時間をとって、主のみこころを求めました(13:2-3)。そのような中、神はアジヤに福音を伝える計画を彼らにお示しになりました。

フェラン・アドリアのように、考えたり計画したりするために2年間休業できる人はまれですが、どんな人でも熱心に祈る時間を生活の中に組み入れることはできます。神に向かって心を開いて熱心に祈るなら、神に栄誉をもたらす人生の歩みや奉仕が何であるかを、主は必ず示してくださいます。

 

幸せバイキング

ファミリーレストランのテレビ広告で「当店で幸せバイキングを!」と宣伝しているのを見ました。フライドポテトやパスタやグラタン、サラダやケーキをファミリーレストランで食べるだけで幸せになれるなら、何と手軽なことでしょう。しかし残念ながら、そのように約束できるレストランはひとつもありません。

幸せをつかむことはなかなかできないと、人生が教えてくれます。もちろん、食べ物や他の物が手に入ることも幸せには違いありませんが、いずれはそれが当たり前になって、次の「幸せ探し」が始まります。それはおそらく、手に入れたものが、心の奥底から必要なものではなかったからでしょう。幸せになろうと、ちょっとした気晴らしや娯楽を求めて、それが手に入ったところで「助けて欲しい」とか「希望がほしい」という心の叫びには応えてくれません。それゆえ、詩篇の作者は「幸いなことよ。ヤコブの神を助けとし、その神、主に望みを置く者は」と語り、幸せになる最良の方法を示してくれます(詩146:5)。

主のうちに幸せを求めるなら、あなたは大丈夫です。主と主の計らいに自らを委ねた時にだけ、私たちは探し求めていた幸せを見つけるからです。助けや希望は、主を信頼して初めて手にすることができます。

 

信じたばかりの頃の喜び

ティーボールを考えついた人は、天才だと思います。ティーボールは野球に似ていますが、小さな子どもでも三振することなくボールを打てるからです。このスポーツには、投手はいません。5~6歳の子どもの腰くらいの高さのゴムの台の上に、ボールを置きます。そして子どもは球に当たるまでバットを振り、当たれば走ります。私が初めてコーチをした時、一人目のバッターが外野まで届く大ヒットを打ちました。すると、全員が守備位置を離れてボールを取りに走りました。そして、ひとりがボールを取ったのですが、内野には誰も残っておらず、送球できませんでした。外野では、バッターの快挙に選手全員から歓声が湧き上がりました。

イエスを信じて救われたばかりの人は押さえ切れない喜びが湧き上がり、その人のそばにいると、こちらまで嬉しくなってきます。私たちは喜びをともにしますが、私たちだけでなく、御国の天使らもこの喜びを共有します(ルカ15:7)。新しくクリスチャンになった人は、主イエスを情熱的に愛し、もっと主を知ろう、もっとみことばを学ぼうとワクワクしています。

しかし時がたつにつれ、クリスチャンとして生きる苦労や葛藤にくじけ、今では初めて信仰を持った時の感動が薄れることもあるでしょう。ですから、新しく信仰を持った人たちと喜びを共有しましょう。神は、あなたの信仰をリフレッシュさせるために、この人たちを用いておられるのかもしれません。

しあわせな人生

富や力、美しさ、愛や結婚、娯楽などはどれも良いことですが、人生の極みではありません。人生の極みとは、神を愛し、神の愛を受け入れることです。つまり、神に栄誉を帰し、神を人生の友とすることがベストです。こういう生き方が、私たちを最良の人生に導きます。それは満足と喜びを与えてくれます。また、クリスチャンは永遠までもこのような生き方をするのです(ヨハ10:10)。

ですから私たちは、神と一緒に過ごす時間をしっかり確保して、神の愛に憩わなくてはなりません。私たちは、この愛によって造られました。神とともにあることが、私たちの存在理由であり、最高の人生を送る手段です。

詩篇の作者は「私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです。私は、神なる主を私の避け所とし、あなたのすべてのみわざを語り告げましょう」と語ります(詩73:28)。つまり、幸せな人生とは、誰にもまして私を愛してくださる神に近づくことです。

では、どうすれば神に近づくことができるでしょう。私には昔からしていることがあります。毎朝数分間、福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)を読み、イエスが言われたことや、なさったことを書き留めます。結局のところ、神がどのようなお方であるかを示すために、イエスはこの世に来られたのですから(ヘブ1:1-3)。福音書の登場人物を自分と置き換えてみてください。例えば、ツァラアトに冒された患者にイエスが愛の御手で触れ、病を癒されたところはどうでしょう(マコ1:40-45)。神が、どれほどあなたを愛しておられるか考えましょう。神に感謝しましょう。

 

永遠の手紙

ホビー・ロビーという手芸チェーン店の創設者の家族は、キリストを信じて生まれ変わった人たちです。社長のスティーブ・グリーン氏は聖書のみことばが大好きで、世界中の稀覯(きこう)本や古文書を集めた聖書博物館を建てたいと願っています。「聖書が何を語っているのか人々に考えてもらいたくて、聖書の話にまつわる博物館を作りたいと思っています。

境界線に感謝しよう

これまで多くの人々と出会いましたが、神の命令に従ったために人生がめちゃくちゃになったという人に会ったことはありません。ところが、自分の生き方を神の道に合わせて変えていくべきだと語ろうものなら、今は個人の自由は不可侵の権利という時代ですから、「権利を侵害している」と見なされてしまいます。

風と火

屋外で火をおこそうとしても、風が吹き消してしまうことがあります。ところが風は、火を燃やし続けようとするなら、それを助けてくれます。前者では、風は私のしたいことを邪魔する「悪い人」であり、後者では私を助けてくれる「良い人」です。

勝利の戦略

高校のバスケットボールチームのコーチを務めていたとき、大失敗をしたことがあります。数人の選手を対戦相手の偵察に行かせると、彼らは帰ってきて「簡単に落とせます」と言いました。私たちは自信過剰だったのです。その試合には負けてしまいました。どこかで聞いたような話ですね。ヨシュアがアイに差し向けた偵察隊が、敵の力を見誤った状況によく似ていると思います。