子どものときの夢
数年前、5年生の生徒に、「もし来週、イエス様が来てくださるとしたら、どんな質問をしたい?」と尋ねました。また、同じことを大人のグループにも聞きました。両者の返答は驚くほど違っていました。子どもの質問は、かわいらしいものから鋭いものまでありました。例えば、「天国では一日中聖歌隊の服で歌っていなければなりませんか」「僕のワンちゃんは天国にいますか」「くじらは、ノアの箱舟に入っていましたか」「私のおじいちゃんは、天国で何をしていますか」といったものです。天国の存在や神の奇跡を疑問視するものは、ほとんどありませんでした。
語り伝えよ
映画制作者のジョージ・ルーカスは、どのように人々の記憶に残っていたいか、とワイアード誌のインタビューで尋ねられ、次のように語りました。「人々は私を映画制作者として覚えていてくれるでしょう。…願わくは、私が制作した映画のいくつかは、その時代においてもなお、今日的な意味を持っていて欲しいと思います。…子育てをしているときには、子どもに色々なことを教えなければなりません。さもなければ、子どもは苦い体験を通して思い知ることになります。ですから、『昔話(寓話)』を次の世代に受け入れられるような形に作り変えて、代々語り継がなくてはならないのです。私は『昔話(寓話)』以上のことはしていないと思います。それはこれからも語り続けられる必要があると思います。」
詩篇78篇の作者は、神の偉業が忘れられ、後の世代が何も知らなくなってしまう可能性に気づいていました。それで、神の救いの御業を飽くことなく子々孫々まで語り伝えようと、神の民に呼びかけました(4節)。その目的は単なる歴史の勉強ではありません。むしろ、自分たちの信仰に常にいのちを吹き込み、主なる神に対する従順と希望を持ち続けることです。不信仰に陥って神に背いた先祖たちの過ちを、後の世代が繰り返さないようにするためです(8節)。
私たちの人生に神の大きな力とあわれみが現れたのですから、私たちは忠実に神の物語を語り告げたいと願います。その結果として、次の世代の人たちが信仰を奮い立たせ、忠実に従うことができますように。
しっかりした基盤
◆ イザヤ書1-2
◆ ガラテヤ5
私の自慢の孫娘、ケイティは、まだ2歳のときから車のメーカーと年式を見分けることができました。父親と一緒にミニチュア・カーで遊ぶようになってから、車の違いが分かるようになったのです。彼女の父は趣味でミニチュア・カーを集めていたので、「ケイティ、1957年式シェビーを持っておいで」と言うなら、彼女は何百もある小さな車の中から、ちゃんとそれを選んで来ることができます。ある時、「おさるのジョージ」を読んでもらっている最中に、彼女は父親のひざを降りると、走ってロールスロイスを取りに行きました。見れば、絵本に描かれているとおりの型式でした。