泥沼状態
◆ エレミヤ書3-5
◆ Ⅰテモテ4
―エレミヤ書20:9
エレミヤは、「嘆きの預言者」とも呼ばれています。もともと繊細で沈みがちな性質だったのかもしれませんが、神に逆らい続けるイスラエルの民にさばきが下ることを知って、嘆き悲しみました。エレミヤの嘆きは、驚くほど激しいものでした。彼は述べています。「ああ、私の頭が水であったなら、私の目が涙の泉であったなら、私は昼も夜も…泣こうものを」(エレ9:1)。
感謝
◆ イザヤ書45-46
◆ Ⅰテサロニケ3
私にとってデーブ・ランドレットは、「今日あるのは彼のおかげ」と言うことができる人です。デーブは2010年10月に天に召されましたが、私が大学時代にイエスを信じたとき、良き助言者であり、相談相手でした。彼は、私のために時間を割いてくれただけでなく、私が主に仕えることを通して学び、成長できるように、リスクを顧みずにチャンスをくれました。大学の賛美チームといっしょに各教会を回り、学生伝道者としてメッセージの奉仕をするというチャンスを作ってくれたのです。 そのおかげで私は整えられ、今も神のみことばを教える人生を歩んでいます。デーブは、私にとって神の選びの器でした。そして私は、彼に何度も感謝の気持ちを伝えることができました。このことを、とてもありがたいと思っています。
精根尽き果て
◆ イザヤ書39-40
◆ コロサイ4
私が10代の頃、父と一緒に狩猟や釣りに出かけました。それは幸せな思い出ですが、一度だけヒヤリとする体験をしました。そのとき、私たちは車で高い山に登り、人里離れた場所にテントを張ってキャンプをしました。 そして、長い山道を下って、渓流釣りに出かけました。炎天下の中、私たちは長時間、魚を釣っていました。そろそろテントに戻る時間になって山道を登り始めたとき、父の顔がどんどん青ざめていきました。そして、めまいと吐き気にも襲われ、身体に少しも力が入らなくなりました。
天国からの癒やし
◆ イザヤ書17-19
◆ エペソ5:17-33
トマス・ムーア(1779-1852)は、アイルランドの詩人であり、作詞家、そして歌手です。多くの人たちが彼の歌を聴き、また歌いました。彼の才能は、多くの人たちに喜びを与えました。しかし悲しいことに、彼の生活は、5人の子ども全員に次々と先立たれるという不幸に見舞われ、とても困難なものでした。ムーアの賛美歌は、「なやむものよ、とく立ちて、めぐみの座にきたれや。天のちからにいやしえぬ、かなしみは地にあらじ」(讃美歌399番)と語っていますが、彼の心の痛みを思うとき、この言葉は一層重みを帯びてきます。心に響くこの歌詞は、祈りの中で神にお会いするならば、私たちの痛んだ心も癒やされていくことを思い出させてくれます。
今は必要ない
◆ イザヤ書5-6
◆ エペソ1
作家志望の人にとって、次から次へと作品を送り返されるのは、かなり落ち込む体験です。出版社に原稿を送ると、「寄稿をありがとうございました。しかし現在のところ、この種の原稿は、当社の必要と合致しません」という内容の手紙が送られてきます。多くの場合、「現在のところ」ではなく、「未来永劫に」というのが現実なのです。それで彼らは、次から次へと別の出版社に原稿を送り続けるのです。
私は、この「現在のところ(そして、未来永劫に)…必要と合致しません」という表現は、信仰を育てる上で有益だと気づきました。心を一新して、神のみに焦点を合わせることに役立つのです。それは、こういうことです。