ひとつになって
昔から妻はピアノを、私はバンジョーを弾き、たまにいっしょに演奏してみるのですが、なかなか合いませんでした。ある日、妻は誕生日プレゼントだと言って新しいギターを買ってくれました。そして私の古いギターを使って、自分もギターを習うと言いました。彼女は音楽の才能が豊かなので、ほどなくいっしょにギターで賛美ができるようになりました。こうして、わが家に新しい「賛美チーム」が誕生しました。
共有する絆
車内にキーを残してロックしてしまい、かぎ屋を呼ばなければならなかったとき、思いがけなく嬉しいことがありました。かぎ屋は、私のフォード製の愛車のドアを開けようと作業しながら、世間話を始めました。私は、彼の温かい話し方や聞き覚えのある訛りに好感を持ちました。この人はジャマイカ出身でした。私はジャマイカを何度も訪れたことがあって、あの島が大好きです。このことで、かぎのトラブルに見舞われたイヤな気分が一変しました。ふたりとも、あの美しい島国を愛していたので、私たちはちょっとした仲間気分を味わいました。
一致を保つ
無人島にひとり残されていた男性がようやく発見されたとき、救助隊員は3つの小屋が建てられているのに気づきました。それは何ですかと尋ねると、男性は「ひとつ目は私の家、ふたつ目は私の教会、そして3つ目は、前に行っていた教会です」と言いました。くだらない冗談ですが、クリスチャンの一致について、懸念すべきことを示しています。
ご近所さん
家の周りのフェンスがかなり傷んできたので、私たち夫婦は倒れる前に取り外すことにしました。取り外すのはとても簡単で、ある日の午後、ふたりで作業をするとあっという間に終わりました。数週間後、夫が庭を掃いていると犬を散歩させていた婦人が立ち止まって、「このお庭は垣根がない方がずっといいわね。それに私、フェンスには反対なの」と言いました。彼女は「コミュニティ」(共同体)を大切にしたいので、人を隔てるものは欲しくないのだそうです。