むかしむかし…
聖書はただのおとぎ話だという人がいます。少年が巨人を倒す物語、大魚に飲み込まれた男の物語、ノアが箱船を造る物語…。宗教は大切だと思っている人の中にも、これらの出来事は道徳を教える作り話だという人がいます。
デビッド、よくやった
デビッド・シュムは、脳性麻痺に侵されながらも楽天的で、忍耐強く、信仰深い人でした。私たちは彼の葬儀で、彼の人となりを心からたたえました。彼の74年の生涯は、日常生活の簡単な作業さえも労苦する大変なものでした。にもかかわらず、笑顔を絶やさず、病院で2万3千時間以上もボランティア活動をしたり、家庭環境に問題のあるティーンエイジャーを支える働きに携わったりしました。
デビッドは生前、自分の葬儀の聖書朗読は、イザヤ書35章3節~10節にしてほしいと言っていました。「弱った手を強め、よろめくひざをしっかりさせよ。心騒ぐ者たちに言え。『強くあれ、恐れるな。見よ、あなたがたの神を。復讐が、神の報いが来る。神は来て、あなたがたを救われる。…そのとき、足のなえた者は鹿のようにとびはね、口のきけない者の舌は喜び歌う。荒野に水がわき出し、荒地に川が流れるからだ』」(3-4、6節)。このみことばは、捕囚の身となったイスラエル人に向けて語られた神の約束です。私たちクリスチャンにとっては、キリストが再臨されるという希望を再確認させてくれるみことばでもあります。
デビッドは生涯最後の数週間、見舞いに来る人たちに、ベッド脇にあるイエスの大きな絵を指して、「主イエスはもうすぐ、ぼくを迎えに来てくれるよ」と話していました。これは、神の子どもたちすべてに賜った希望です。だから私たちは、イエスに感謝し、イエスを賛美するのです。
準備を整える
◆ エゼキエル書1-3
常に準備を整えている人というと、子どもの頃、隣家に住んでいたニーンハウス氏を思い出します。彼は、自分の車を必ずバックで車庫に入れていました。そのあたりでは、自宅の車庫入れは前方駐車が一般的なので、子ども心に変わった人だなと思っていました。しかし、母の説明でその理由が分かりました。実は、ニーンハウス氏は町の消防団の一員でした。呼び出しがかかれば、すぐさま消防署に駆けつけねばなりません。一刻たりとも無駄にせずに出動するために、彼は常にバックで駐車していました。
用意周到さは、人生のあらゆる場面で重要です。例えば、アブラハム・リンカーンは「木を切るのに8時間もらえるのならば、私はその内の6時間を斧を研ぐために使う」と語りました。私たちは将来の職業のために勉強し、万一の事故や災害に備えて保険に入ります。また、家族に遺産を残すため、遺書を準備したりさえします。
聖書は、霊的にも準備を整えなさいと教えます。霊の闘いから自らを守るために、御霊の武具を身に着けなさい(エペ6:10-20)。心を引き締め、身を慎みなさい(Ⅰペテ1:13)。私たちの内にある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしなさい(3:15)。約束されたイエスの再臨に備えて準備を整えなさい(マタ24:44)と勧めています。
あなたの将来に対する準備は万全ですか。不安ならば、主の助けと導きを求めましょう。
霊の闘いに備えている人だけが霊的勝利を得る。