世のすべてのものには終わりがある、というのは、時として辛いことかもしれません。おもしろい本を読んでいると、終わってほしくないと思います。もうすこし長ければよかったのにと、映画を見終わって思うこともあります。
本の最初を読まずに、結末を読んでしまうことが時々あります。そして、登場人物の中で誰が生き残り、誰が死んでしまうのかが分かり、結末を知ります。その後、私は心安らかにじっくりと、物語の筋や登場人物の有り様を味わったり、楽しんだりするのです。
私は歴史が大好きなので、英国の偉大なアーサー王についてのテレビ番組をじっくり見ました。それぞれの歴史家は、アーサー王と円卓の騎士たちの物語の、信憑(しんぴょう)性を証明する目撃者の記述や歴史的証拠はないと語りました。彼らは、アーサー王の物語は「伝説」であり「神話」であると何度も言ったのです。
研究者たちは、癌の治療法やアルツハイマー症の謎を解く手がかり、その他さまざまな難病を克服する方法を発見しようと、たゆみなく励んでいます。しかしある日、朝刊の見出しに「死が滅ぼされた!」と書かれていたら、どうでしょう。あなたは、信じますか。信じることができるでしょうか。
世界の二大勢力が対立し「冷戦」と呼ばれる状況が続いていた20世紀後半のある時期、アメリカ合衆国の国民は核戦争の脅威と隣り合わせに生きていました。1962年、ソ連の核ミサイルがキューバに配備されてキューバ危機が勃発したとき、私たちは滅亡の淵にいるように感じました。それは、当時小学6年生だった私にとって、恐ろしい状況でした。
あなたがたの互いの間の愛を、またすべての人に対する愛を増させ、満ちあふれさせてくださいますように。―Ⅰテサロニケ3:12
アイダホ州ボイシからそう遠くない山間部の小さな村で、牧師をしている友人がいます。この村は緑豊かな渓谷沿いにあって、美しい小川がくねくねと流れています。その小川は、教会の敷地のすぐ裏にも来ています。教会と小川の間には、柳の並木と芝生道があり、その向こうは砂の岸辺です。そこは牧歌的な風情をたたえた場所で、村人たちは長い間、ここでピクニックを楽しんできました。
彼が自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに数えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、―イザヤ書53:12
遅かれ早かれ、罪の結果は両者を苦しめます。罪を犯した本人は、その罪の重さに苦しめられ、惨めな失敗を恥じて悩みます。一方で、被害者の方は、裏切られたり、だまされたり、捨てられたり、あざけられたり、ごまかされたり、ばかにされたりして傷つきます。
キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。―Ⅰペテロ4:13
トラブルは生活の一部だと言われて、あなたは驚きますか。そんなことはないでしょう。私たちにとって、トラブルは個人的で身近なものです。失業、健康問題、介護疲れ、貯金が底をつく、愛が冷める、深い悲しみがある…等々とリストは続きます。
自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。―ローマ6:11
保育園で4歳の息子が騒ぎを起こしたと聞いて、母親が問いただしました。「いったい何をしたの?」すると、その子が言いました。「友だちにむかついたんだ。でも、ママが人をたたいてはいけないと言うから、別の子にたたいてもらったんだ。」