嵐の中で
今にも嵐が来そうでした。窓の外だけでなく、家の中にも…。私の友人は言いました。「香港にいたとき、暴風雨が近づいていました。窓の外では雨風が強くなっていましたが、家の中にも嵐の予兆がありました。父親が入院していて、私たちは、各々の家庭と仕事を両立させながら病院通いをつづけていました。看病疲れで、皆もう限界でした。家には緊張した空気が漂っていました。」
嵐の中のキリスト
レンブラントは27歳のときに、マルコの福音書4章の話に基づいてガリラヤ湖で嵐を静めるキリストの絵を描きました。荒れ狂う嵐の中で難破の危機にさらされた小さな舟が、光と影の見事な対比の中に描かれています。弟子たちは暴風と大波にうろたえていますが、イエスは平静です。この絵のおもしろいところは、舟に乗っている13番目の弟子が描かれていることです。美術評論家はレンブラント自身だろうと言います。
力を断たれる
人口密度の高いアメリカ北東部を2012年10月末、大型ハリケーンが襲いました。その進路に当たった町々では大規模な洪水が発生して、大きな被害が出ました。また、800万世帯以上が停電しました。この停電によって、食糧や燃料、水などが不足し、交通網が寸断されて大混乱になりました。うなるような風と打ち寄せる高波によって、建物は押しつぶされ、あたりは水びたしになり、大量の土砂が町に流入しました。メディアはこの出来事を「数百万世帯で電力断たれる」と報じました。
嵐の中の神
その日は早朝から風が強く、小石が降ってでもいるかのような大きな雨音が屋根から聞こえていました。窓の外をみると、黄みがかった灰色の空の下で木々が強風に揺さぶられています。時折、稲妻が空をパッと照らし、骨まで響くような雷鳴がとどろきます。家の電気が消えたりついたりして、この悪天候はいつまで続くのだろうと不安でした。
黙れ、静まれ
友人のエルイーズは、ものごとを正しい視点でとらえる賢い人です。あるとき、「調子はどう?」と尋ねたら、「悪くないわ」といういつもの返事のかわりに、「イエスさまを起こしに行かなくっちゃ!」と答えました。どういうことかと思ってさらに尋ねると、「あら、聖書に書いてあるでしょ」とにっこり笑います。そして、「弟子たちが嵐に遭ったとき、イエスさまを起こしに行ったでしょう。私も助けてもらいに行くところなの」と言いました。
抜き差しならない状態に陥って、逃げ道が見当たらないという場合、あなたならどうしますか。生命の危険さえ感じる嵐の中にいた弟子たちのように、私たちもイエスに助けを求めて走っていくかもしれません(マコ4:35-41)。けれども、時には、問題の発端となった人を中傷したり、復讐しようとしたり、もしくは嘆きの渕に落ち込みながら、恐れて身を隠したりして、問題を切り抜けようとします。
そんな私たちは、イエスを唯一の助けとして逃げ込んだ弟子たちから学ばなければなりません。たとえ、イエスが即座に問題を解決してくださらなかったとしても、イエスは同じ船に乗っていてくださいます。それが分かっているのといないのでは、雲泥の差です。
ありがたいことに、イエスは私たちが人生の嵐に遭遇するとき、いつもともにいて、「黙れ、静まれ」(39節)などとおっしゃってくださいます。ですから、嵐に遭ったらイエスを探してすぐそばにおられることを確認しましょう。そして、イエスがおられることの平安で心を満たしていただきましょう。