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僕はどこから来たの

アフリカ系米国人の7歳の男の子トビアスが、私の心を揺さぶる質問をしました。「アダムとエバは白人だけど、黒人はどこから来たの?」 私は、アダムとエバの肌の色が何色だったかわからないと答え、なぜ、ふたりが白人だと思うのかと尋ねました。するとトビアスは、教会や図書館にある子ども聖書の絵は、みんな白人だと言いました。私は絶句しました。こういうことが原因で、自分が劣っているとか、神の被造物ではないとさえ感じるかもしれないと思いました。

イエスのチーム

オークランド・アスレチックスは2001年のシーズン後、3人の主力選手を失いましたが、資金不足で大型補強ができませんでした。そこでゼネラルマネージャーのビリー・ビーンは、統計データを利用して選手を集めました。この選手たちは他球団で「全盛期を過ぎた」とか「技術不足」と判断された、知名度の低い人たちです。ところが、この落ちこぼれ軍団は20連勝を含む103勝を上げ、2002年の地区優勝を果たしました。

この事実で思い出すのは、イエスが弟子を選ばれたときのことです。イエスは荒くれガリラヤ人漁師、熱心党員、さらには、レビ(マタイ)という嫌われ者の取税人をご自分のチームに選ばれました。これは、「神は…強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです」(Iコリ1:27)という聖書のみことばを思い出させます。神はこれらの献身的な人たち(ユダを除く)を用いて、ある動きをスタートさせられました。それは世界に劇的な影響を与え、世の中を全く違ったものにしていきました。

私たちは、この教えから学ぶことができます。私たちは、人気、影響力、財力のある人を求め、地位の低い人や肉体的に劣る人を軽視しがちです。

しかし、イエスはすべての人を平等に扱われ、世の中で認められていない人たちも自分のチームに加えられました。私たちもまた聖霊と導きによって、すべての人を平等に見ることができます。

招待者リスト

クムランというユダヤ人の共同体が一世紀に存在しましたが、彼らは世俗の影響を受けずにメシヤの到来に備えようと、社会から隔絶して孤高の生活をしていました。彼らは祈りの生活や洗いの儀式、行動規則の遵守に力を入れていました。発掘された文書によると、彼らは目や手足の不自由な人たちを共同体に受け入れなかったそうです。これは、身体に欠陥のある者は誰でも宗教的に汚れている、という信念に基づいており、そのような人たちが食事に招かれることはありませんでした。

その同じ時期、イスラエルの救い主イエス・キリストは、ユダヤやガリラヤの町や村で活動しておられました。父なる神の御国を宣べ伝え、人々を教え、慰め、素晴らしい奇跡を行っておられました。驚くことに、イエスはこう言われました。「祝宴を催す場合には、むしろ、貧しい者、からだの不自由な者、足のなえた者、盲人たちを招きなさい。…あなたは幸いです」(ルカ14:13-14)。

イエスのみことばと、宗教界のエリートであるクムラン共同体の招待者リストは対照的です。そして、それは次のことを教えています。つまり、私たちの交わりは、自分と同じような人、自分と同じ考え方の人、また自分と同じように行動する人同士の交わりになる傾向にあります。しかし主は、私のようにすべての人を受け入れなさいと、強く勧めておられます。