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その子をわたしのところに

マークが「神さまを信じていないから教会には行かない」と言い出しました。彼は、無邪気な少年から不機嫌で反抗的な青年に変わってしまいました。それからというもの、マークの両親にとって人生は戦場となり、日曜日は重苦しい日になりました。ついにどうして良いか分からなくなり、カウンセラーに相談しました。すると、こう言われました。「マークは自分で信仰の旅路を歩まなければなりません。親が子を御国に強制入国させることはできません。神に働いていただく余地を作りましょう。祈りつづけてください。そして、待ちましょう。」

中国のことわざ

中国のことわざは日常を取り扱った内容が多く、その背景に物語がある場合がほとんどです。「苗をひっぱって生育を助ける」ということわざは、宋の時代のせっかちな人の話が出所です。彼は米を植えたあと、その生育を心待ちにしていましたが、ふとあることを思いつきました。すべての稲を、少し上に引っ張るのです。この作業を一生懸命した後、水田を見渡すと、稲が伸びて「育った」ように見えました。彼は大喜びしましたが、その喜びは長つづきしませんでした。翌日、稲はしおれ始めました。根が地中に少ししか入っていなかったからです。

遅延は 拒絶ではない

ふたりの息子、アンガスとデービッドの誕生日はどちらも12月です。ふたりは幼い頃に学んだことがあります。アンガスは、12月初めの誕生日に欲しかったおもちゃをもらえなくてもクリスマスにもらえるかもしれないと思い、デービッドは、クリスマスにお目当てのものがもらえないときは、4日後の誕生日にもらえると期待していました。遅延は拒絶ではないのです。

前もって信じる

第二次世界大戦中、ドイツの捕虜収容所で看守の目を盗んでラジオを作っていたアメリカ人捕虜がいました。ある日、ドイツ軍が降伏し、戦争が終わったというニュースが流れました。しかし、ドイツ軍の情報伝達はうまくいっていなかったので、看守たちはこのニュースを知りませんでした。このことが捕虜たちの間に広まると、彼らは歓声をあげて喜びました。彼らは歌ったり、看守たちに手を振ったり、食事のときに冗談を言ったりしました。そして4日後、捕虜たちが目覚めるとドイツ人たちは全員逃げ出していました。待つのは終わったのです。

待てる神

クリスマスは待つ時と言えるでしょう。道路が混雑するので待ちます。買い物をしてレジに並んで待ちます。実家に戻ってくる親族の到着を待ちます。ご馳走がテーブルいっぱいに並ぶのを待ちます。心を込めて選んでもらったプレゼントを開けるのを待ちます。

なぜ私が?

1年で聖書を!
◆ エレミヤ書15-17
◆ Ⅱテモテ2
聖書のみことば 詩篇131
 
隠されていることは、私たちの神、主のものである。―申命記29:29

先日、大好きな詩篇131篇を読んでいました。この詩篇は、神秘性とは神のご性質のひとつであり、それを知っておかなければならないと教えてくれました。ですから、私は自分の心を騒がせないようにしなければなりません。神が、宇宙の中で何をしようとされているのか、そのすべてを理解するのは不可能なのです。

辛抱強く忍耐する

1年で聖書を!
◆ Ⅱ列王記19-21
◆ ヨハネ4:1-30
聖書のみことば詩篇130:1-8

 
私は主を待ち望みます。私のたましいは、待ち望みます。私は主のみことばを待ちます。―詩篇130:5

子どもは忍耐が苦手です。「今すぐ、デザートが食べたい!」とねだったり、「まだ着かないの?」と尋ねたり、宅配便が届いたら、すぐに開けたがったりします。しかし、年齢を重ねるにつれ、私たちは待つことを学びます。医学生は医師になる日を待って励みます。家出息子(娘)の親は、子どもの帰りを祈り心で待ちます。私たちは待つ価値があるものを待ち、その過程で忍耐を学ぶのです。

怒らないでいる

1年で聖書を!
◆ 申命記32-34
◆ マルコ15:26-47
聖書のみことば 詩篇37:8-11

 
怒ることをやめ、憤りを捨てよ。―詩篇37:8

わたしの友人の便箋にはロダンの有名な彫刻「考える人」が印刷してあります。そして、その下には「人生は不公平だ」と記されています。

 
まったくもって、人生は不公平です。人生は公平という主張や論理はすべて人をだましています。それは、錯覚にすぎません。