1年で聖書を!
◆ Ⅱ列王記19-21
◆ ヨハネ4:1-30
聖書のみことば詩篇130:1-8

 
私は主を待ち望みます。私のたましいは、待ち望みます。私は主のみことばを待ちます。―詩篇130:5


子どもは忍耐が苦手です。「今すぐ、デザートが食べたい!」とねだったり、「まだ着かないの?」と尋ねたり、宅配便が届いたら、すぐに開けたがったりします。しかし、年齢を重ねるにつれ、私たちは待つことを学びます。医学生は医師になる日を待って励みます。家出息子(娘)の親は、子どもの帰りを祈り心で待ちます。私たちは待つ価値があるものを待ち、その過程で忍耐を学ぶのです。

神は時を越えた存在で、私たちに「大人の信仰」を要求されます。それで、私たちの願いがなかなかかなわない、試練と感じられる状況が与えられるのでしょう。忍耐できるということは、大人のあかしです。また忍耐は、時間の経過がなければ培われません。
 

聖書に記されている多くの祈りは、「待つ」という行為から生まれています。ヤコブは妻となる女性のために、7年間待ちました。そして彼女の父親にだまされ、さらに7年間働きました(創29:15-20)。イスラエルの民は、400年のあいだ救出を待ちました。モーセは、同胞を助けるまでに40年間待ち、彼らを約束の地に導くまで、さらに40年間待ちました。詩篇の作者は「私のたましいは、夜回りが夜明けを待つのにまさり、まことに、夜回りが夜明けを待つのにまさって、主を待ちます」と語ります(詩130:6)。夜警の仕事が終わるときを、今か今かと待ちわびている光景が思い浮かびます。

私は祈ります。試練に見舞われても、脱出の道を期待し続け、希望を持ち続け、神を信じ続ける忍耐が与えられますように。辛抱強く忍耐できますように。

(Philip Yancey)

神は大いなるわざを急いでなさらない。