私ではなくもっと主を
牧師を始めたばかりの頃、娘のリビーが「パパ、私たちって有名?」と尋ねました。「いや、リビー。有名なんかじゃないよ」と答えると、彼女はしばらく考えてから、「もっとたくさんの人に知ってもらえたら有名になれるのに…」と不満そうに言いました。
限られた生涯
ある男性が、巨大な竜巻で無残な姿になった自宅の前にたたずんでいました。家の残骸の中には、高価な美術品や妻の宝石などが散らばっています。しかし、それらを拾うために家の中へ入ろうとはしません。いつ崩れるか分からないからです。「命をかける価値があるものでは無いですから」と、彼は言いました。
危機的な状況に置かれると、人生で本当に大切なものにはっきりと焦点が当たります。
詩篇90篇はモーセの祈りです。神の人であるモーセは、人生を初めから終わりまで見渡しました。人生の短さ(4-6節)と神の義なる怒り(7-11節)という観点に照らして、モーセは「それゆえ、私たちに自分の日を正しく数えることを教えてください。そうして私たちに知恵の心を得させてください」と切に祈りました(12節)。
そして、モーセは神の愛に訴えました。「あなたのしもべらを、あわれんでください。どうか、朝には、あなたの恵みで私たちを満ち足らせ」てください(13-14節)。モーセの祈りは、未来のために祈って締めくくられています。「私たちの神、主のご慈愛が私たちの上にありますように。そして、私たちの手のわざを確かなものにしてください」(17節)と。
人の命には限りがあり、その上長くもありません。そのことに目を留めるなら、私たちは神の永遠の愛をしっかりと受け止める必要性に気づくはずです。そして、モーセのように、人生で最も大切なことに焦点を合わさなければならないと分かるでしょう。
未来に投資する
◆ イザヤ書56-58
◆ Ⅱテサロニケ2
ホール・イン・ワンを決めて100万ドル(約8千万円)を獲得したとき、ジェイソン・ボーンはまだ大学生でした。このような賞金を浪費する人もありますが、ジェイソンは違いました。彼はプロゴルファーを目指していたので、これを自分が腕を磨く間の生活費とトレーニング費に充てたのです。この賞金は、ジェイソンの未来への投資という形で使われ、2005年度PGAツアーのB.C.オープン優勝という結果を出しました。今を楽しむのではなく、未来に投資するという彼の決断は正しかったのです。
今は必要ない
◆ イザヤ書5-6
◆ エペソ1
作家志望の人にとって、次から次へと作品を送り返されるのは、かなり落ち込む体験です。出版社に原稿を送ると、「寄稿をありがとうございました。しかし現在のところ、この種の原稿は、当社の必要と合致しません」という内容の手紙が送られてきます。多くの場合、「現在のところ」ではなく、「未来永劫に」というのが現実なのです。それで彼らは、次から次へと別の出版社に原稿を送り続けるのです。
私は、この「現在のところ(そして、未来永劫に)…必要と合致しません」という表現は、信仰を育てる上で有益だと気づきました。心を一新して、神のみに焦点を合わせることに役立つのです。それは、こういうことです。
トップまで登りつめる
◆ 箴言19-21
◆ Ⅱコリント7
職場の査定に「野心に欠ける」とは書かれたくないでしょう。野心に欠けた社員が、組織のトップに登りつめることはめったにありません。何かを達成したいという強い願望なしには、何事も成すことができません。しかし、野心には影もあります。多くの場合、自分を押し上げるために頑張るのであって、人のために立派なことをするのではないからです。
歌わずにはいられない
◆ 詩篇126-128
◆ Ⅰコリント10:19-33
私は生きているかぎり、主をほめたたえよう。いのちのあるかぎり、私の神に、ほめ歌を歌おう。―詩篇146:2
ロバート・ローリーは19世紀の牧師で、自分にできる最大の貢献は説教だと思っていました。しかし彼の名は、賛美歌やゴスペル音楽によって最もよく知られています。ローリーは500曲以上の賛美歌を作詞したり、作曲したりしました。その中には、「墓の中に」(聖歌172番)「めぐみある主」(聖歌487番)「まもなくかなたの」(聖歌687番)などが含まれています。