知恵が必要
マリリンは昨年、ある苗木を植えましたが、添え木をするかどうかで迷いました。ホームセンターの店員は、「強風でも倒れないように、1年間は添え木をしてください。その後ははずして、木が深く根を張れるようにしてください」と言いました。しかし、近所の人からはこう言われました。「添え木はやめた方がいいと思うよ。植え始めから強い根を育てなければ、木はいつまでたってもしっかり根を張ることができないからね。長い目で見れば、添え木のないほうが木のためになるだろう。」
知恵はどこで見つかるか
知恵は神聖さの表れであり美しさです。ヤコブによると、知恵は、道理にかなった柔軟性のあるものです。寛大に赦し、平和に満ち、面倒見が良いこと。ちょっと立ち寄って親切に何かをしたり、やさしい言葉をかけたりすることです。知恵は、心の底から謙虚であり、表裏がなく純粋、やさしく上品で、恵み深いことです(ヤコ3:17)。
どんな人になるか
私の故郷は小さな町で、著名人はいませんし、華やかな場所もありません。これといって、することもない所です。けれども私は、この素朴で静かな土地で育ったことを、いつも感謝しています。
ある夜、私たち夫婦は仕事関係の夕食会に出席したのですが、そこで初対面の人に、出身地はどこかと尋ねられました。その人は私の答えを聞くと、「そんな場所の出身だなんて恥かしいですよね」と言いました。彼女が本気なのか冗談を言っているのかは分かりませんでしたが、私は「いいえ」とだけ答えました。
私の故郷は洗練された町ではないので馬鹿にされたのかもしれませんが、なくてはならないものはきちんとありました。町には教会があって、私の両親は「主の教育と訓戒によって」(エペ6:4)私たちを育ててくれました。
イエスもナザレという小さな町で育ちました。ナタナエルという男は「ナザレから何の良いものが出るだろう」(ヨハ1:46)と言いましたが、そこからイエスが出られたのですから、「いいえ、出ます」が正しい答えです。イエスの故郷は、取るに足らない集落だったかもしれませんが、イエスは歴史上で最も重要な人になりました。
どこで育つかが問題ではなく、どう育つかが問題だということは、個人的な経験からも、聖書の記述からも明らかです。出身地を比べられて落ち込むこともあるかもしれませんが、私たちは神にとって大切な人です。神は私たちを霊的に強め、神の知恵で満たしてくださいます。
エール
ジョン・グレンは1962年に、地球周回軌道を初めて飛行したアメリカの宇宙飛行士です。ロケットが上昇したとき、地上の管制官はジョンに向けてエールを送りましたが、それは「神があなたを繁栄させてくださるように!」という意味の言葉でした。
このような支援の気持ちを表すことばのふさわしい使い方について、聖書の中に教えが残っています。それは、ヨハネの手紙第二1章10節に「あなたがたのところに来る人で、この教えを持って来ない者は、家に受け入れてはいけません。その人にあいさつのことばをかけてもいけません」と記されている、この「あいさつのことば」と訳された部分です。
使徒ヨハネは「愛の使徒」と呼ばれていました。にもかかわらず、なぜ、このように教えたのでしょう。それは、当時の伝道者たちの生活に関連しています。伝道者たちは、各地で教えを宣べ伝えましたが、その際の宿や食事は、キリスト者である兄弟姉妹が提供していました。ヨハネは、聖書の真理が重要であり、旅の伝道者の教義が使徒の教義と違うならば、その人を家に泊めたり、お金をあげて支援をすべきではないと教えたのです。
これは今日のクリスチャンにも言えることです。私たちは、神にあわれみを受けているのですから、すべての人に親切にしなければなりません。しかし、誰かの計画に金銭的な援助を求められたときは、いつでも、神の知恵を求めなくてはなりません。私たちを真理へ導いてくださる聖霊(ヨハ16:13)は、いつ、誰を支援するのが適切なのかを示してくださいます。
賢い人の輪
私は以前、カリフォルニア州のある教会の役員でしたが、当時、最年長だったボブ・スミス兄は、役員会が導きを必要とするとき、いつも神のみことばに立ち返るように促してくれる人でした。
羊が水の中を歩む
◆ エレミヤ書32-33
◆ ヘブル1
作家C.S.ルイスは、宗教的な概念はスープのようだと言いました。とろみのついたポタージュもあれば、さらさらしたコンソメスープもあります。聖書の中には、確かに濃厚な概念があります。知的に理解することが難しい、複雑で神秘性と機微に富んだ概念です。例えば、「神は、人をみこころのままにあわれみ、またみこころのままにかたくなにされるのです」(ロマ9:18)というみことばを理解するのは簡単ではありません。しかし、聖書の中には、さらっと分かる考えもあります。「神は愛です」というヨハネの手紙第一4章16節のみことばは、これ以上ないというほど単純明快です。
単純化
◆ Ⅰ歴代誌22-24
◆ ヨハネ8:28-59
あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。―マタイ6:34
バスケットボールのスター選手が、ラジオのインタビュー番組で、勝敗を決定づける重要な場面でシュートを成功させるコツを尋ねられました。番組の司会者は、大きなプレッシャーの中で、なぜあんなにも冷静でいられるのか、と質問しました。彼の答えは、状況を単純化する、というものでした。つまり、「シュートを一本決めれば、それでよい」。これが、複雑な状況の単純化です。「今、目の前にあるものだけに集中する。」「コーチやチームメイトの期待を気にしない。」これが彼の言う単純化です。