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お話の時間

子どものころ、私は母に絵本を読んでもらうのが大好きでした。母の膝に乗ってページの絵を細部までしっかりチェックしながら、彼女のひと言、ひと言に聞き入りました。次のページに何が出て来るか、それはもうわくわくしたものです。

ところで、私たちの人生もまた、絵本の読み聞かせのようなものだと考えてみたことはありますか。良い時も、悪い時も、どちらでもない時も、周りの人々は「私たち」という絵本を見たり聞いたりしています。私たちの物語は、その口から出る言葉だけでなく、態度や行動を通して伝えられます。順風や逆風、その時々の状況にどう応答するかを、私たちの子どもや孫たち、配偶者や近所の人、同僚などが観察しています。

使徒パウロは、イエスに従うクリスチャンの人生は手紙だと述べています。それは、「すべての人に知られ、また読まれ…キリストの手紙であり、墨によってではなく、生ける神の御霊によって書かれ」た手紙です(Ⅱコリ3:2-3)。

周りの人たちは、この手紙を読み、私たちの人生を知るのですが、それは果たして何を語るのでしょう。赦しでしょうか、あわれみでしょうか。寛容、忍耐、もしくは愛でしょうか。

もしあなたが、神の恵みに満たされた人生の喜びを聖霊によって体験しているなら、素晴らしい神の語り部になる喜びも、どうぞ味わってください。

歴史から学ぶ

1年で聖書を!
◆ ヨブ記18-20
聖書のみことば Ⅰコリント10:1-13
 
これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、それが書かれたのは、……私たちへの教訓とするためです。―Ⅰコリント10:11

私たち夫婦はロンドンの大英博物館を訪れて、英国の歴史の豊かさや数々の文化遺産に圧倒されました。そこに展示されているものはみんな、アメリカの歴史より何世紀も古いものです。歴史の感覚を持っていることは、何と大切なことだろうと改めて思いました。

努力する価値あり

1年で聖書を!
◆ 出エジプト記32-34
聖書のみことば 詩篇19:7-11
 
聖書はすべて、神の霊感によるもので、……義の訓練とのために有益です。―Ⅱテモテ3:16

ある年、シェイクスピアの38の戯曲を一年で読破しようと決心しました。やってみて驚いたのは、それが仕事より娯楽に近かったことです。また、シェイクスピアの世界とそこに生きる人々について学べるだろうと思っていたのに、実際は、私の世界について教えられました。

スケッチに過ぎない

1年で聖書を!
◆ ダニエル書8-10
◆ Ⅲヨハネ
聖書のみことば Ⅰコリント13:8-12
 
今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。―Ⅰコリント13:12

地下牢で息子を出産した女性の物語が、C.S.ルイスの著書「栄光の重み」の中にあります。母は外の世界を知らない息子に鉛筆で絵を描いて、その様子を教えてやりました。ふたりは後に釈放され、鉛筆描きの簡単なスケッチは、本物の美しい世界に取って代わりました。

アドベントのテーマ

1年で聖書を!
◆ エゼキエル書40-41
◆ Ⅱペテロ3
聖書のみことば Ⅰペテロ1:3-5,13-21
 
イエス・キリストの現れのときあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。―Ⅰペテロ1:13

聖書の書巻はすべてつながっており、関係性を持っています。私は以前からそのことを信じていましたが、それでも、先月読んだペテロの手紙第一が、アドベントの4つのテーマすべてに触れていることに気づいたときは、今さらながら驚きました。アドベントは、キリストの再臨を意識しつつ、キリストの降誕を祝う準備をする期間です。神がキリストと共にくださった希望、平和、喜び、愛を強調する時です。

羊が水の中を歩む

1年で聖書を!
◆ エレミヤ書32-33
◆ ヘブル1
聖書のみことば Ⅱテモテ3:13-17
 
聖書はすべて……有益です。―Ⅱテモテ3:16

作家C.S.ルイスは、宗教的な概念はスープのようだと言いました。とろみのついたポタージュもあれば、さらさらしたコンソメスープもあります。聖書の中には、確かに濃厚な概念があります。知的に理解することが難しい、複雑で神秘性と機微に富んだ概念です。例えば、「神は、人をみこころのままにあわれみ、またみこころのままにかたくなにされるのです」(ロマ9:18)というみことばを理解するのは簡単ではありません。しかし、聖書の中には、さらっと分かる考えもあります。「神は愛です」というヨハネの手紙第一4章16節のみことばは、これ以上ないというほど単純明快です。

忙しすぎる

1年で聖書を!
◆ イザヤ書41-42
◆ Ⅰテサロニケ1
聖書のみことば ルカ10:38-42
 
彼女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた。―ルカ10:39

飛行機の搭乗を待っていたとき、私が牧師だと小耳に挟んだ人が、話しかけてきました。彼はキリストを信じる前の人生について語り、それは「罪と自己陶酔」の日々だったと言いました。しかし、彼はイエスと出会ったのです。そして、自分の生活がどれほど変わり、どれほどの奉仕をしてきたかも語ってくれました。それは興味深い話でした。しかし、彼の話は、神のために非常に多忙だったということで、神と非常に親しく交わってきた、というものではありませんでした。それで、「先生、正直なところ、なぜ、こんなにも心が満たされていないのだろうと思うのです」という質問には、少しも驚きませんでした。

巻物を捜せ!

1年で聖書を!
◆ 詩篇135-136
◆ Ⅰコリント12
聖書のみことば Ⅱ列王記22:8-23:3
 
私は主の宮で律法の書を見つけました……―Ⅱ列王記22:8

 ある日曜日、私は教会の子どもたちに言いました。「教会堂に聖書個所を書いた巻物を何本か隠しておいたから、それを捜してごらん。その巻物を見つけて、そこに書かれている聖書のみことばを大きな声で読んだら、先生が賞品をあげるよ。」みなさんにも、あの子どもたちの様子を見て欲しかったです。彼らは会堂中を駆け回り、椅子を動かしたり、植木鉢を持ち上げたり、(許可をもらって)大人のバックの中を捜したりしました。彼らはワイワイ楽しみながら、けれども必死になって捜しました。そして、巻物を見つけ出しました。みことばを見つけて喜ぶ子どもたちや、応援しながら一緒になって喜ぶ大人の様子は、私たちに神のみことばを求めることの大切さを再認識させてくれました。

主の優しさ

1年で聖書を!
◆ 詩篇119:89-176
◆ Ⅰコリント8
聖書のみことば 詩篇119:97-104
 
どんなにか私は、あなたのみおしえを愛していることでしょう。―詩篇119:97

何年か前、英国男爵のジェームス・バリー卿の短いエッセーを読みました。そこには、自分の母親に関する詳しい記述がありました。バリー卿の母は、神と聖書のみことばを深く愛し、ページがほどけてばらばらになるほどに聖書を読み込んだそうです。バリー卿は「それは今、私の聖書です。そして、ばらばらにならないように母がページを縫いつけた黒い糸も、私にとっては、聖書の内容の一部なのです」と語りました。