Tag  |  重荷

重荷を背負う

海軍の歴史にとって暗い出来事が、1628年8月10日に起こりました。その日、スウェーデン王国の軍艦ヴァーサ号が処女航海に出航しました。竣工までに2年を要し、豪華な内装と64の大砲を持つ軍艦は、スウェーデン海軍の誇りでした。しかし、出航してまもなく沈没してしまったのです。何が起こったのでしょう。実は、船が重すぎて航行に適さなくなっていました。過剰な重量が、ヴァーサ号を海の底に沈めてしまいました。

避け所

マレーシアのクランにある教会の会堂に入ったとき、来訪者を歓迎する額の言葉を見て興味をそそられました。そこには、「重荷を負う者のための避け所」とありました。

満載喫水線

無謀な過積載が原因で船が沈没し、乗組員が亡くなるという海難事故が19世紀にはよくありました。この無責任な慣例を正すため、英国の政治家サミュエル・プリムソルは1875年に、すべての船の船体に線を引いて、その線によって積載貨物の限界を示すという法律を作りました。この線(満載喫水線)はプリムソルマークと呼ばれて、今日の船の船体にも引かれています。

重すぎる

早朝の薄暗い光の中、車のエンジンをかけたところ、シートベルトサインが点灯しているのに気づきました。私はシートベルトがドアにはさまっていないか、たるんでいないかなどを確認しましたが、まだ点灯しています。「もしかして…」という気がして、助手席に置いたバッグに手を伸ばし、それを持ち上げると、サインが消えました。

そのバックには硬貨の包み3本やハードカバーの本、弁当などが入っていたため、子どもの体重程度の重さに達して、センサーが作動してしまったのです。

バッグの中身を空にするのは簡単ですが、重さを減らすことが難しいものもあります。とりわけ、人生の重荷は気持ちを重たくします。

心にのしかかる重荷が、ダビデを疲れ果てさせたような罪であれ(詩32:1-6)、ペテロが体験したような恐れであれ(マタ26:20-35)、トマスの抱いたような疑いであったとしても(ヨハ20:24-29)、それらを持って来なさいと、イエスは招いておられます。主イエスは、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」と語っておられます(マタ11:28)。

私たちは、自分だけで重荷を負うようには創られていません。私たちの重荷を担ってくださるお方に、それを委ねましょう(詩68:19、Ⅰペテ5:7)。そうすれば、神はそれに代えて、赦し、いやし、そして、回復を与えてくださいます。神にとって重すぎる重荷はありません。

力仕事

1年で聖書を!
◆ 箴言22-24
◆ Ⅱコリント8
聖書のみことば マタイ11:25-30
 
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。
―マタイ11:28

ある日、息子が2キロのバーベルを頭の上に持ち上げようとしていました。幼児にとっては大胆な試みです。バーベルは床からほんの少し上がっていただけでしたが、彼の目は真剣そのもので、彼の顔は力んで紅潮していました。私は「ママが手伝ってあげよう」と言って、天井に向かって一緒にバーベルを押し上げました。息子には困難だった力仕事も、私には簡単なことでした。

罪の記憶

1年で聖書を!
◆ 詩篇26-28
◆ 使徒22
聖書のみことば 創世記45:1-15
 
今、私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりません。
―創世記45:5

罪の記憶が、救いの喜びをかき消してしまうことがあります。「あんなことをしてしまった自分を赦すことさえできれば」と思ったり、そう言っている人の話を聞いたりしたことがあるかもしれません。罪悪感にさいなまれて、いつまでもくよくよしている人もいます。

ベルはひざまずき

1年で聖書を!
◆ Ⅰサムエル記13-14
◆ ルカ10:1-24
聖書のみことば イザヤ書46:1-9

 
わたしは(あなたを)背負う。―イザヤ書46:4

イザヤ書46章は、バビロンが敵に包囲されて人々が偶像を避難させる様子を描いています。偶像を乗せた荷車はきしみ、それを引く家畜は荷の重さに疲れてうめきます(1節)。