見えない世界
あなたの片手についている細菌の数は、世界の人口より多いことを知っていますか。また、数百万の細菌は、針の穴ほどのスペースに収まることを知っていますか。細菌は、顕微鏡を使わなければ見えないほど小さいものですが、空中や地中、水中のみならず、私たちの体内にも生息しています。私たちは通常、その存在を感じませんが、人と細菌は、互いに常に影響し合っています。
中世の食事
しばらく前に、中世関連の会議に出席しました。あるセミナーで、中世に一般的だったと思われる食物を実際に作りました。すりこぎとすり鉢でシナモンと果物をすりつぶして作ったジャムや、オレンジの皮に生姜と蜂蜜を加えて煮た甘いお菓子を作りました。アーモンドを他の材料といっしょに押しつぶし、水を加えるとアーモンドミルクが出来上がりました。メインディッシュには、鳥の丸焼きのライス添えを用意しました。そして、出来上がった美味しい料理を楽しく試食しました。
食べそこなったランチ
食事は私にとって、ただの必要でなく、人生の大きな楽しみのひとつです。食卓について美味しいご飯をいただくのは、本当に嬉しいのです。お腹がすいているときにはなおさらです。
さて、イエスの弟子たちは戻ってきて、先生がサマリヤ人の女性と井戸端で話しているのを見ました。彼らは昼食を食べていなかったので、お腹がすいていたのでしょう。イエスに、「先生。召し上がってください」と言いました。ところが、主のお答えは「わたしには、あなたがたの知らない食物があります」だったので、彼らは「だれか食べる物を持って来たのだろうか」といぶかったのです(ヨハ4:31-33)。
弟子たちは食事にこだわるあまり、自分たちが楽しく時を過ごすこと以外は思いつかず、井戸端で行われていたことの重大性を認識できなかったのでしょう。主イエスにとって最も重要なことは、「わたしを遣わした方のみこころを行い、そのみわざを成し遂げること」(34節)でした。ですからイエスは、この女性の霊的な必要に焦点を合わせていました。彼女が渇望している霊の満たしを与えることができるのは、主イエス以外にはおられないからです。
私たちは、目下の必要にとらわれがちです。しかし、自分にとって「おいしいもの」ばかりに気を取られるのではなく、しっかり目を開けて、心を満たすものを求めて探している人がいることに目を向けなさい、とイエスは教えておられます。
井戸端にイエスとともに立ちましょう。そして主イエスに用いていただいて、主だけが与えることのできる霊の糧があることを人々に語っていきましょう。