みなしごの父 やもめのためのさばき人は 聖なる住まいにおられる神。詩篇68:5
愉快な父の日のカードがありました。筋肉隆々のお父さんが片手で芝刈り機を押し、もう片手で3歳ぐらいの娘の乗った子ども用のカートを手慣れた様子で引っぱっています。女の子は芝刈り機の騒音もお構いなく楽しそうです。こんな二刀流は少々危険かもしれませんが、これを描いた人は、父親だって仕事と子育てを両立できると言いたいのです。
良い父親に恵まれた人なら、これを見て素敵な思い出がよみがえるかもしれません。しかし多くの人にとって、父親は複雑な存在です。実質的に不在だったり、裏切られたり、傷つけられたりした人はどうしたらよいのでしょう。
ダビデ王は欠点ある父親でしたが、神は親のようなお方だと理解していました。「みなしごの父 やもめのためのさばき人は 聖なる住まいにおられる神」(詩68:5)と語り、孤独な者を家族の中に住まわせてくださると述べました(6節)。
使徒パウロはさらにこう書いています。「子とする御霊を受け……この御霊によって、私たちは『アバ、父』と呼びます」(ロマ8:15)。「アバ」は、小さい子どもが父親を呼ぶときに用いるアラム語です。イエスが裏切られる夜、苦もんしつつ天の父を呼んだのもこの言葉でした(マコ14:36)。
イエスと同じ言葉で神を父と呼べるとは、何という特権でしょう。私たちの「アバ、父」は、ご自分のところに来る人を皆、喜んで受け入れ、神の家族にしてくださいます。
あなたにとって父親とはどんな存在ですか。
天のお父さま、あなたの家族に迎え入れてくださり、イエスと同じようにあなたを「アバ、父」と呼べることを感謝します。
寄稿者:Tim Gustafson