あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が命じたとおりに。申命記5:16
創世記を読むたびに私の心が震えるのはアブラハムの葬儀の場面です。彼を葬ったのは約束の子イサクだけではありません。アブラハムとサラの不信仰から生まれ、母ハガルと家を追い出されたイシュマエルも一緒でした(創25:9)。アブラハムはイスラエル民族の始祖であり「信仰の父」とも呼ばれていますが、2人の息子はこの父が決して完璧ではないことを身をもって知っていました。自分たちの生涯は父の不完全さによって大きく揺るがされたのです。しかし彼らは2人並んで父を葬りました。この場面に父と子との葛藤や和解、そして関係の癒やしが垣間見えます。
実は聖書は不完全な父親だらけです。預言者として評価の高いエリやサムエルも、父親としては目も当てられません。ダビデも息子アブサロムとの確執を放置した結果、王室がめちゃくちゃになりました。聖書は父親を理想化も美化もしません。その聖書が「父と母を敬え」と語るとき、完璧で絶対的な存在として敬えなどと言っていないことは明らかです。むしろ主は現実の親子関係がいかに難しいかよく理解しておられ、その上で命じておられます。
父の日間近ですが「父の敬い方マニュアル」はありません。ある人にとってはハグしたり、言葉で感謝を伝えることかもしれません。あるいは、久しぶりに電話することかもしれません。父を赦す、いや、その存在を思い出すだけでも大きな一歩、という人もいるでしょう。主はそれぞれの敬い方を受け止め、祝福して下さいます。
「理想ではない父は敬えない」という思いはありませんか。あなたにとって「父を敬う」行動はどんな形でしょうか。
天のお父さん、あなたの命令に心から喜んで従うことができるよう私の心を柔らかくしてください。そして私と父との関係を祝福してください。
寄稿者:山田風音