

人の役割、神の役割
シンガポールには、人々の寄付に応じて、政府が同額またはそれ以上の額を上乗せする制度があります。その目的は、人々がより積極的に慈善事業に関わるようになることです。

謙遜で恵み深い与え方
オズワルド・チェンバーズと妻ビディーは、自分たちの信条に基づいて聖書学校を運営しました。それは困窮者を拒まないというものです。世知に長けたロンドンっ子たちはがくぜんとしました。利用されるだけと。それに対し、チェンバーズは同調など求めず、静かに語りました。「私の責任は与えること。神は求める人を顧みられます」。この学校は、彼が従軍牧師としてエジプトに赴任するまで続きました。二人は神の気前の良さに倣ったのです。

神の助けを届ける
私は当時10代で、友人リサとぎくしゃくしていました。ですから、夏のキャンプで彼女と同室になると分かってがっかりでした。それでも、お互いに節度を守って1週間を過ごし、最後の夜は、お楽しみのキャンプファイヤーです。しかし、私は熱があって早めにベッドに入りました。笑い声や歌声が外から聞こえてきます。私はリサがそばにいて、体温を測ってくれたので驚きました。「外には行かない。カレンが病気だもん。そばにいるよ」。彼女は皆と楽しむという選択もできたのに、私の看病を選んでくれました。その思いやりをとてもうれしく思いました。

神の赦しに倣う
以前、同僚にマッジという人がいました。料理上手で、ある時、「私の自慢のエンドウ豆とハムのスープを食べて!」と言いました。エンドウ豆は苦手だと言うと、「食べず嫌いよ」とほほ笑み、次の日、私のために作ったスープを密閉容器でくれました。翌日、「食べた?」と聞かれると「そのうち食べるよ」と答えました。再度、聞かれないことを願いましたが、彼女は翌日も翌々日も尋ね、4日目には「早く食べないと腐っちゃうわよ」と言いました。