1年で聖書を!
◆ エゼキエル書40-41
◆ Ⅱペテロ3
◆ エゼキエル書40-41
◆ Ⅱペテロ3
聖書のみことば Ⅱコリント4:8-15
私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。―Ⅱコリント4:8
懐疑論者たちは、クリスチャンの信仰は松葉杖のようだと言います。イエスを信じると言う人は、宗教によりかからなければやっていけない弱虫だと言うのです。どうも彼らは極東の国で投獄された、あの医師の話を聞いたことがないようです。彼はキリストを信じたので「再教育」が必要だと言われ、2年半の間、獄中にいました。そして一時は釈放されたものの、教会で献身的に仕えたために、再び逮捕されました。
懐疑論者たちは、使徒パウロのことも、きっと知らないでしょう。使徒パウロはキリストを信じたのち、逮捕、むち打ち、嘲笑、そして、難船などを経験しました(Ⅱコリ11:16-29)。
パウロのような人たちは、自分を支える松葉杖を求めていたのではありません。彼らの心の中には、深くて本質的な真理がありました。自分は神と個人的な関係でつながっているという真理です。そしてこの関係は、イエスの十字架上での御業を信じる、という信仰から生まれたものです。
彼らは御国の王の子どもになりました。そして、イエスを宣べ伝えるという特権のためになら、すべてを喜んで犠牲にするようになりました。よたよた歩きながら、自分を支えてくれるものを探していたのではありません。
キリスト信仰とは、「転ばぬ先の杖」ではありません。用心や安全のためでもありません。それは、何があろうとイエスを信じ、イエスを信頼するということです。日々自分の十字架を負い(ルカ9:23)、救い主イエスのために生きることです。
イエスの十字架を喜んで背負おう。主は私たちのために十字架を忍ばれたのだから。