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雑念と戦う

毎日、同じ高速道路を利用して通勤します。そして毎日、脇見運転をしているドライバーをたくさん見ます。その人たちの大半は、携帯電話で話したり、メールをしたりしていますが、新聞を読んでいる人や化粧をしている人、シリアルを食べている人なども見たことがあります。集中していなくても大して問題にならない事柄もありますが、時速100キロほどで車を運転しているときは違います。そんなときに注意を怠るならば、人を殺してしまいます。

移り気な信奉者たち

世論とはなんと移ろいやすいものでしょう。過越しの祭りのとき、エルサレムに入城したイエスを民衆は喜んで迎え、王にしました(ヨハ12:13)。しかし、その週の終わりには、イエスを十字架につけるようにと求めたのです(19:15)。

この移ろいやすい民衆の中に、私は自分の姿を見ます。私は、勝っているチームを応援するのが好きです。チームが負け出すと、私の気持ちも離れていきます。新しくて刺激的な動きがあると、それにかかわりたいと思います。しかし、熱気が別のものに移っていくと、私の気持ちもそれにつられて移っていきます。私は、イエスが不可能を可能になさっているときは、喜んで主に従います。けれども、イエスに難しいことをするように言われると、尻込みして動くことができません。勝ち馬に乗るようにイエスに従うのはワクワクします。イエスが頭の良い人を出し抜いたり、権力者を打ち負かしたりなさるときにイエスを信頼するのは簡単です(マタ12:10、22:15-46を参照)。しかし、イエスが苦難や犠牲、死について語られると、私は戸惑ってしまうのです。

私は、自分だったら十字架までイエスに従って行っただろうと思いたいのですが、実は、あやしいところです。結局のところ、安全な場所にいてもイエスのために堂々と語れないのですから、大勢の敵に囲まれたら、いったい何ができるでしょう。

私は本当にイエスに感謝しています。こんな移り気な信奉者たちのために、イエスは死んでくださいました。そのことがあったので、私たちは、献身的な弟子になっていけるのです。

嵐の中の航海

古代アクスム王国は紅海に面したアフリカ大陸の東岸(現在のエチオピア)にありましたが、その国の人々は、季節風の強い風を帆に受けてスピーディな航海ができることを発見しました。激しい風雨を恐れてひるむのではなく、むしろ、嵐の中を航海する術を習得しました。

詩篇107篇は、神は私たちが嵐に見舞われることを止めようとはなさらず、むしろ、私たちが嵐の中を航行できるように助けてくださるという状況を見事なまでに描いています。それは「主が命じてあらしを起こすと、風が波を高くした。…この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から連れ戻された」(25、28節)と述べています。

災難に見舞われたとき、神が助言し、導いてくださることを信じる、というのは聖書のテーマのひとつです。ヘブル人への手紙11章には、信仰を訓練するチャンスだと捉えて困難と向き合い、神の恵みや必要の満たし、また困難からの脱出を体験した人たちが列挙されています。「彼らは、信仰によって、国々を征服し、正しいことを行い、約束のものを得、獅子の口をふさぎ、火の勢いを消し、剣の刃をのがれ、弱い者なのに強くされ、戦いの勇士となり、他国の陣営を陥れました」と語られています(ヘブ11:33-34)。

人生に嵐があるのは避けられません。問題に直面したときの最初の反応は、「ここから逃げ出したい」かもしれません。しかし、神を信頼して、嵐の中を航行する術を教えてくださいと願うこともできるのです。腹をくくって、そのように祈りましょう。

豊かなたましい

史上最高の約510億円という賞金の獲得を夢見て、多くのアメリカ人は2012年の初め、それぞれの州で宝くじを買いました。推定販売額は1,200億円です。1億7,600万分の1という驚くような当選確率にもかかわらず、人々は金持ちになる夢を買おうと、スーパーやガソリンスタンド、またはカフェなどに設置された売り場に列をなしました。どういうわけか、私たちはもっとお金があれば今ある問題が解決し、人生がうまくいくと考えがちです。

ところが聖書の中のアグルという人は、豊かさについて別の見解を持っていました。彼は、死ぬ前にふたつの願いを叶えてくださいと神に祈りました。

彼はまず、「不信実と偽りとを私から遠ざけてください」と言いました(箴30:8)。嘘をつかないことは、不安のない人生の鍵です。隠しごとがないなら、恐れるものはありません。人をだますと自分が奴隷化され、正直になるなら解放されます。アグルはまた、「貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で私を養ってください」と語りました(8節)。満足感は、与え主なる神を信頼して感謝して受けるとき、心に湧き起こります。アグルは、創造主を「地のすべての限界を堅く定めた…拠り頼む者の盾」であると語ります(4-5節)。

後ろ暗いことが全く無く、満足感に充たされている人は、豊かなたましいの持ち主ですが、誰でもそうなることができます。私たちの神は、この宝を望む人すべてに喜んで与えてくださいます。

栄光を栄光に

1年で聖書を!
◆ Ⅱ歴代誌10-12
◆ ヨハネ11:30-57
聖書のみことば マタイ6:1-6

 
人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません。―マタイ6:1

アーリントン国立墓地の無名戦士の墓の衛兵交代式は、簡素ながら荘厳かつ崇高で感動的です。一糸乱れぬ動きは、その名も、功績も、「神のみぞ知る」兵士たちへの感動的なささげものです。その式は、見物者が立ち去った後も、一定間隔で行われています。来る日も来る日も、どんな天候でも、それが一定間隔で続けられることにも感動させられます。

松葉杖?

1年で聖書を!
◆ エゼキエル書40-41
◆ Ⅱペテロ3
聖書のみことば Ⅱコリント4:8-15

 
私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。―Ⅱコリント4:8

懐疑論者たちは、クリスチャンの信仰は松葉杖のようだと言います。イエスを信じると言う人は、宗教によりかからなければやっていけない弱虫だと言うのです。どうも彼らは極東の国で投獄された、あの医師の話を聞いたことがないようです。彼はキリストを信じたので「再教育」が必要だと言われ、2年半の間、獄中にいました。そして一時は釈放されたものの、教会で献身的に仕えたために、再び逮捕されました。

上級コース

1年で聖書を!
◆ エゼキエル書27-29
◆ Ⅰペテロ3

 
主は、私のいのちのとりで。―詩篇27:1

私たちは生活を聖俗に区分しがちです。一日の多くの時間を仕事や用事、家事や子どもの世話などに取られる中で、何とかして「霊的」な時間、すなわち、個人のデボーションやスモールグループ、また教会のための時間を確保しようとします。

粘り強い信仰

1年で聖書を!
◆ 伝道者の書4-6
◆ Ⅱコリント12
聖書のみことば ヨハネ15:9-17

 
あなたの御前には喜びが満ち、―詩篇16:11

マギーは、テレビに興味がありません。小さな画面を見ているより、窓から外を眺めるほうがよっぽど好きです。本を読むことも好きではありません。よく本にかじり付いていますが、文字通り噛んでいるだけです。とはいえ、私たち夫婦がテレビを見たり、本を読んだりするときは、いつも一緒です。テレビや本に関心が無くても、私たちのそばにいたいのです。マギーは、忠実な犬です。何はともあれ、私たちと一緒にいたいのです。