1年で聖書を!
◆ レビ記17-18
◆ マタイ27:27-50
◆ レビ記17-18
◆ マタイ27:27-50
聖書のみことば イザヤ書43:1-13
火の中を歩いても、あなたは焼かれず、―イザヤ書43:2
どうして私の髪はこんなに乾きにくいのだろうと思いました。私は相変わらず急いでいたのですが、濡れた髪で冬空の下に出て行きたくはありません。ふと見ると、ドライヤーの設定が「高温」ではなく「中温」です。そういえば、姪のために私が変えていたのです。
ドライヤーの温度のように、人生の状況も簡単にコントロールできたらいいのにとよく思います。熱すぎず、冷たすぎず、ちょうど良い具合にです。私だったら、逆境という高温を絶対に選びません。しかし、霊的な領域を考えるなら、「熱すぎず、冷たすぎず」では、すべきことができません。私たちは聖(きよ)くなるように招かれていますが、「聖」は「熱」をともないます。聖なる者になるとは、清くないもの、不純なものから離れて、神のために取り分けられた者になることを意味します。神は私たちを精錬してきよめるために、試練という「炉」を用いられることがあります。預言者イザヤは、「あなたが水の中を過ぎるときも…火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない」と語ります(イザ43:2)。彼は「もし」とは言わず、「ときも」と語ります。使徒ペテロもまた、試練について「何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく」と述べています(Ⅰペテ4:12)。
いつ火の中を歩くようになるのでしょう。炉の温度はどれくらいでしょう。私たちには分かりません。ただ分かっていることは、神が火を用いられる目的は、私たちを滅ぼすためではなく、私たちを純粋な者にするためです。
聖なる者にする速度を上げるために、神は火の温度を上げられる。
トピック:
霊的成長/霊の成長