Month: 2月 2011

問題の核心

1年で聖書を!
◆ 民数記20-22
◆ マルコ7:1-13
聖書のみことば ローマ3:10-18

 
私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。―ローマ7:18

子どものころに好きだったテレビの漫画に「トム・テリフィック」というのがありました。トムは「考え帽」をかぶって、相棒で驚異の忠犬、マイティー・マンフレッドと一緒に、難題を解決します。いつも諸悪の元凶は、最大の敵、クラビー・アップルトンです。今でもこの悪玉がテレビの中で何と呼ばれていたのかを覚えています。「クラビー・アップルトン、骨の髄まで堕落している。」

賛美の花束

1年で聖書を!
◆ 民数記17-19
◆ マルコ6:30-56
聖書のみことば Ⅰペテロ4:7-11

 
すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるためです。―Ⅰペテロ4:11

コリー・テン・ブーム(1892-1983)は第二次世界大戦のナチスの強制収容所から生還し、世界中を巡って講演活動をしたクリスチャンです。多くの人たちが、彼女の話を聞きに訪れました。キリストが自分の罪を赦してくださったのだから、収容所の監視人たちを赦そうと、彼女が神から教えられていったという実話です。

希望を失うことはない

1年で聖書を!
◆ 民数記15-16
◆ マルコ6:1-29
聖書のみことば 出エジプト記6:1-13

 
わたしはあなたがたを……労役から救い出す。伸ばした腕と大いなるさばきとによってあなたがたを贖う。―出エジプト記6:6

テネシー・アーニー・フォードが歌った「シックスティーン・トンズ」(マール・トラビス作詞)は、1950年代半ばのアメリカで大流行しました。この曲を聴いた当時の人たちは、状況に縛られていると感じている炭坑夫の嘆きに、自分を重ね合わせていたようです。炭坑夫は、働けど働けど状況を変えられません。彼らは、会社が所有する家に住み、賃金は、会社が経営する店でしか通用しないクーポンで支払われていました。この炭坑夫は、仮に天国に召されたとしても、自分のたましいは会社の店の所有物だから行くことはできない、と言うのです。

完全な平和と休息

1年で聖書を!
◆ 民数記12-14
◆ マルコ5:21-43
聖書のみことば詩篇71:19-24

 
あなたは私を多くの苦しみと悩みとに、会わせなさいましたが、私を再び生き返らせ、―詩篇71:20

今日の聖書のみことば、詩篇71篇の作者は、多くの苦しみと悩みに遭いましたが、神は自分を再び生き返らせてくださると心の奥底で信じていました(詩71:20)。「再び生き返らせる」の文字通りの意味は、「再度、命のある状態にする」です。詩篇の作者は「(あなたは)私を再び生き返らせ、地の深みから、再び私を引き上げてくださいます。あなたが私の偉大さを増し、ふり向いて私を慰めてくださいますように」(20-21節)と述べています。苦難の人生がずっと続いていたとしても、天国に着いたときにはもう終わっています。

本当に大切なもの

1年で聖書を!
◆ 民数記9-11
◆ マルコ5:1-20
聖書のみことば マタイ16:21-28

 
人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。―マタイ16:26

数年前、私の友だちは、あのタイタニック号にまつわる遺品の展示会を見に行きました。来場者たちは、タイタニック号に実際に乗っていた乗客か乗務員の名前が記された乗船券を渡されます。それは約100年前、一生に一度というべき旅に出た人々です。友人たちは銀食器や他の工芸品などの展示を見て回りましたが、最後に思いがけない展開が待ち受けていました。

創造の多様性

1年で聖書を!
◆ 民数記7-8
◆ マルコ4:21-41
聖書のみことば ヨブ記12:7-13

 
すべての生き物のいのち……は、その御手のうちにある。―ヨブ記12:10

神が被造物に驚くべき特徴を授けられたことを、改めて考えてみたことがありますか。ヨブは考えました。彼の記述でもっとも面白いのは、ダチョウです。ダチョウは、分別に欠けるように見えるし、子の育て方も一風変わっています。けれども、種は絶えることなく生きながらえています(ヨブ39:13-16)。鳥なのに飛べません。しかし、走る速さは、馬をしのぐほどです(18節)。

より深い思いやり

1年で聖書を!
◆ 民数記4-6
◆ マルコ4:1-20
聖書のみことば イザヤ書49:13-18

 
女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。
―イザヤ書49:15

妻と初めて出会ったのは、大学生のときでした。当時、私は牧師になるための勉強をしていて、彼女は小学校の教師になる勉強をしていました。子どもたちと一緒にいる彼女を最初に見たとき、その光景がすごく似合っていると思いました。彼女は子どもが大好きでした。彼女の子ども好きは、結婚して自分たちに子どもができたとき、もっとはっきりしました。我が子に接する妻の様子を見ていると、無条件に愛することや無条件に受け入れることを教えられます。母親の赤ん坊に対する情愛と比べられるものは、この世にはひとつもないと思わされました。

解決

1年で聖書を!
◆ 民数記1-3
◆ マルコ3
聖書のみことば 使徒15:36-41 Ⅰコリント9:1-6

 
激しい反目となり、その結果、互いに別行動をとることになって、―使徒15:39

若いい夫婦が1884年5月、生まれたばかりの子どものミドルネームをめぐって対立していました。親戚などの名前の中から、母親はソロモン、父親はシッピーにしたいと主張しました。しかし、彼らはどちらにも決めることができず、結局“S.”にするということで妥協しました。こうして、ハリー・S・トルーマンという名前が決まりました。アメリカ合衆国大統領の中で、ただひとり、ミドルネームが頭文字の大統領です。この夫婦の対立は、120年以上たっても覚えられています。しかし、分別ある妥協が成立したことも忘れられていません。

観客は誰?

1年で聖書を!
◆ レビ記26-27
◆ マルコ2
聖書のみことば 詩篇50:7-15

 
感謝のいけにえをささげる人は、わたしをあがめよう。― 詩篇50:23

教会の礼拝をエンターテイメントの時間であるかのように感じているときがありました。セーレン・キェルケゴールは、私たちのような人々について、教会を一種の劇場だと考える傾向にあると述べています。私たちは観客の中にいて、熱心に舞台の上の役者を見物しています。十分に楽しませてもらったら、拍手や歓声で感謝の気持ちを表します。しかしながら教会は、劇場とは正反対のものであるべきです。「神」が観客です。神は、私たちの礼拝をご覧になっています。