1年で聖書を!
◆ ヨブ記1-2
◆ 使徒7:22-43
聖書のみことば ヨブ記2

私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならないではないか。―ヨブ記2:10

ある日、3歳の息子が大きな声で「ママ、大好き!」と言いました。私は、何が幼児にそう言わせるのか好奇心にかられて、なぜそうなのか尋ねてみました。すると息子は「いっしょにおもちゃの車で遊んでくれるからだよ」と答えました。その他に理由はあるかと聞くと、「ないよ。それだけ!」と答えました。私は、それを聞いてにっこりしましたが、同時に、私と神との関係を考えさせられました。私は、神が祝福してくださるから、神を愛し、神を信頼するのでしょうか。もし、その祝福が無くなったらどうするのでしょう。

ヨブは、大惨事が子どもたちや財産を奪ったとき、この疑問に答えなければなりませんでした。妻は「神をのろって死になさい」と言いました(ヨブ2:9)。それに対してヨブは、「私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならないではないか」と答えました(10節)。その後、ヨブは苦しみました。友人たちに対して怒り、全能の神に疑問を呈しました。けれどもやはり「神が私を殺しても、私は神を待ち望」むと誓ったのです(13:15)。

 
ヨブの天の御父に対する愛は、自分の問題が解決されるかどうかとは無関係でした。むしろ、神が神であるゆえに愛し、信頼しました。ヨブは「神は心に知恵のある方、力の強い方」と語ります(9:4)。

神を愛するのは、神が祝福してくださるからではなく、神が神だからであるべきです。

(Jennifer Benson Schuldt)

神の品性に焦点を合わせるならば、自分の状況から目を反らすことができる。