1年で聖書を!
◆ イザヤ書65-66
◆ Ⅰテモテ2
聖書のみことば Ⅰテサロニケ4:13-18
 
あなたがたが他の望みのない人々のように悲しみに沈むことのないためです。―Ⅰテサロニケ4:13

祖父は「さようなら」とは決して言いませんでした。まるで永遠の別れのように感じるからイヤなのだそうです。それで、帰省した私たち家族を送り返すときには必ず、家の前のソテツの並木道に出てきて、手を振りながら「じゃあ、また」と言っていました。

私たちクリスチャンは、相手も救い主イエスを信じているならば、どんなときでも「さようなら」を言わなくてよいと知っています。再会の約束が聖書に記されているからです。
 
使徒パウロは、「他の望みのない人々のように悲しみに沈むこと」がないように、と教えています(Ⅰテサ4:13)。なぜなら、イエスが再び来られる時には、キリストにあって死んだ人々がよみがえり、生き残っている兄弟たちと共に引き上げられて空中で主に会うからです(15-17節)。そのときは、「もはや死もなく、悲しみ、叫び」もありません(黙21:4)。そこは「いつまでも主とともにいる」ことのできる、素晴らしい場所です(Ⅰテサ4:17)。

クリスチャンには、キリストと永遠をともにするという希望があります。また、キリストを信じながら先立った家族や友人と再会し、主のみもとで永遠に暮らすという希望もあります。だからこそ、パウロは「このことばをもって互いに慰め合いなさい」と教えているのです(18節)。「さようなら」ではなく、「じゃ、また」と言える希望によって、今日、誰かを励ましませんか。

(Jennifer Benson Schuldt)

クリスチャンが死に際して残す言葉は「さようなら」でなく「また会いましょう」だ。