1年で聖書を!
◆ エレミヤ書9-11
◆ Ⅰテモテ6
聖書のみことば 使徒16:9-31
 
パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。―使徒16:25

空港で足止めされたことはありますか。それも、家から何千キロも離れた、言葉の通じない国の空港で丸一日も。これが、私の友人のジョンに起こったことです。しかし、私たちはジョンの体験から学ぶことができます。

この遅延は普通なら耐えがたいアクシデントですが、そこには神の御手があったと、ジョンは語ります。彼は予期せぬ待ち時間を、他の乗客たちとおしゃべりをして過ごしていました。その中にはインド人のクリスチャンが数人いて、彼らの携わっているミッションは、ジョンが関心を寄せる分野でした。この出会いのおかげで、ジョンはインドでも短期プロジェクトに関わることができました。
 
遅延や計画変更、方向転換などをしなければならない場面に遭遇したとき、私たちは、それを厄介な出来事と受け止めてしまう傾向があります。しかしそれは、いつもと違うことをしたり、新しいことをしたりしなさい、という神の導きなのかもしれません。使徒の働き16章の記述を考えてみましょう。パウロはピリピに行きましたが、それは、神が幻によってマケドニヤに行くようにと示されたからです(9-11節)。それなのに、そこで投獄されるとはまったく予想していなかったでしょう。ところが、この入牢さえ、神の導きでした。なぜなら、神はパウロを用いて、牢の看守とその家族を救いに導いてくださったからです(25-34節)。

私たちが「それは神の導きだ」と積極的に受け止めるなら、神は、私たちの遭遇した不都合を用いてくださいます。

(Dave Branon)

神は逆境をチャンスに変えてくださる。