1年で聖書を!
◆ エレミヤ書15-17
◆ Ⅱテモテ2
聖書のみことば 詩篇131
 
隠されていることは、私たちの神、主のものである。―申命記29:29

先日、大好きな詩篇131篇を読んでいました。この詩篇は、神秘性とは神のご性質のひとつであり、それを知っておかなければならないと教えてくれました。ですから、私は自分の心を騒がせないようにしなければなりません。神が、宇宙の中で何をしようとされているのか、そのすべてを理解するのは不可能なのです。

けれども今、別の側面もあるのだと気づきました。それは、神が私にしておられることすべてを理解することは不可能だということです。
 
乳離れした子は、かつては執拗に求めたものをもはや求めません。ダビデは、自分の心はそのようだと語ります。彼のたましいは同じことを学びました。それは「へりくだりなさい」という命令です。辛抱強く耐え、いかなる状況にも満足する。神が理由を教えてくださらなくても、そうしなさい、という召しです。神の御旨は、人の理解をはるかに超えているからです。
 
「なぜ、こんなひどい目に!?なぜ、こんな苦しみが!?」と問うとき、父なる神は言われます。「私の子よ。黙っていなさい。説明しても、お前には分からない。ただ、わたしを信頼していなさい。」

ダビデのことを思い巡らしていた私は、自分に問いかけました。今の状況の中で、主をとこしえまで待っているだろうか(詩131:3)。苛立ったり、疑ったりせず、信じて忍耐強く待つことができるだろうか。神の完全な良き御旨が私の中に実現するまで、神を信頼できるだろうか、と。

(David Roper)

分からないことだらけの世の中で、全知の神を知っていることは何と心強いことか。