Month: 11月 2011

職人の技

1年で聖書を!
◆ エゼキエル書16-17
◆ ヤコブ3
聖書のみことば 出エジプト記31:1-5
 
私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。―エペソ2:10

スタインウェイ社を描いたドキュメンタリー番組を見ました。その番組は、優れたピアノを作るこだわりの職人芸を追っていました。木を切ることに始まって最後にショールームに並ぶまで、ひとつのピアノは、熟練工による数え切れない工程を経ています。そのどれもが繊細で精巧なものです。このようにして1年かけて完成されたピアノを、名のある演奏家が試し弾きします。彼らは、このような豊かな響きは、工場の生産ラインで組み立てられたピアノでは決して出せないと言います。秘密はまさに職人技です。

家族の特徴

1年で聖書を!
◆ エゼキエル書14-15
◆ ヤコブ2
聖書のみことば マタイ5:9,38-48
 
平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。
―マタイ5:9

ときどき思い出す日曜学校の賛美歌があります。それは、イエスが惜しみなく与えてくださる平安の祝福を歌っています。人の理解を超えた平安が、心の中にずっとある、という意味の歌詞がついています。
 

神の大掃除

1年で聖書を!
◆ エゼキエル書11-13
◆ ヤコブ1
聖書のみことば ヨナ書1
 
無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。―エペソ4:31

今週、神は秋の大掃除をなさいました。強風を送って、まわりの木々を揺さぶり、枯れた枝をふるい落とされました。風が止むと、私には庭の後始末が待っていました。

バイリンガルになる

1年で聖書を!
◆ エゼキエル書8-10
◆ ヘブル13
聖書のみことば 使徒17:19-31
 
私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。あなたがたのある詩人たちも、「私たちもまたその子孫である」と言ったとおりです。
―使徒17:28

永遠、真理、善悪などといったことに無関心な人々が増えつつある社会で、私たちと信仰を同じくしない人たちに、福音を伝えることは可能でしょうか。

旅の道連れ

1年で聖書を!
◆ エゼキエル書5-7
◆ ヘブル12
聖書のみことば マタイ4:18-22
 
イエスがガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、ふたりの兄弟、……をご覧になった。……イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。―マタイ4:18-19

美しく壮大な景色を眺めながら、アイダホの山道を歩くのが、私は大好きです。歩きながら、トレッキングは人生の象徴だとよく思います。クリスチャンの人生は、主イエスとともに歩むことです。イエスは人生という旅の道連れであり、案内人です。イエスは「わたしについて来なさい」と声をかけて弟子を集め、イスラエルの地を端から端まで歩かれました(マタ4:19)。

気をつけて!

1年で聖書を!
◆ エゼキエル書3-4
◆ ヘブル11:20-40
聖書のみことば Ⅰヨハネ2:18-27
 
あなたがたが反キリストの来ることを聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現れています。それによって、今が終わりの時であることがわかります。
―Ⅰヨハネ2:18

米国の銀行員は、偽造紙幣の見分け方についてFBIの係官に訓練されますが、そのとき、本物と偽物の両方の紙幣を見せられるそうです。ここで注意すべき点は、両者の相違点であり、類似点ではありません。

乳児食

1年で聖書を!
◆ エゼキエル書1-2
◆ ヘブル11:1-19
聖書のみことば ヘブル5:12-6:2
 
堅い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です。―ヘブル5:14

赤ちゃんの離乳食を食べてみたことがありますか。歯ごたえが全然なくて、今ひとつです。けれども、赤ちゃんは歯がないのですから、仕方ありません。肉汁がじわっと口に広がる、美味しいステーキを食べることはできないのです。

深く悲しむ

1年で聖書を!
◆ 哀歌3-5
◆ ヘブル10:19-39
聖書のみことば 哀歌3:25-33
 
たとい悩みを受けても、主は、……あわれんでくださる。―哀歌3:32

エルサレムは炎に包まれ、預言者エレミヤは泣きました。彼は、神のさばきを予測して警告しましたが、その言葉を顧みる者はいませんでした。今や、彼の恐ろしい預言はみごとに成就しています。哀歌には、エレミヤがエルサレムの滅亡を嘆き悲しんだ過程が記されています。

私は主にあって私

1年で聖書を!
◆ 哀歌1-2
◆ ヘブル10:1-18
聖書のみことば Ⅰペテロ3:8-17
 
たとい義のために苦しむことがあるにしても、それは幸いなことです。
―Ⅰペテロ3:14

地元の病院で診察を待っていたとき、十字架のキリスト像が壁にかかっていることに気づきました。しばらくして看護師が問診にやって来ましたが、質問の中には「病院のチャプレンに相談したい霊的な問題がありますか」という問いもありました。私は、「尋ねてくださってありがとう」と答えました。これは今の世の中では珍しい質問です。彼女は微笑みながら、自分たちの病院は信仰を基盤にしており「霊性のケアは使命のひとつです」と語りました。この人たちは社会がますます多元的で世俗的になる中、恐れることなく自らの信仰を公言しています。私は、そのことに感銘を受けました。