1年で聖書を!
◆ エゼキエル書47-48
◆ Ⅰヨハネ3
聖書のみことば コロサイ1:19-29
 
あなたがたも、かつては神を離れ、……今は神は……あなたがたをご自分と和解させてくださいました。―コロサイ1:21-22

平和はアダムとエバの時代に失われました。禁断の木の実を食べて自分たちが裸であることに気づくやいなや、ふたりは互いに相手を責め始め(創3:12-13)、神の平和な星に対立を持ち込みました。このふたりの末裔(私たちも含まれる)は悲しいことに、祖先の悪い模範に倣っています。私たちは自分が間違ったときでも他人のせいにする一方で、誰かが失敗したときには、責任をたらい回しにすることに腹を立てるのです。自分の不幸を他人のせいにするなら、家族や教会、地域社会や国家を分裂させます。私たちは平和を作ることができません。誰に責任を負わせようかと、犯人捜しに夢中になるからです。

クリスマスは「平和」を体験するときです。旧約聖書には、どのようにして平和の君が登場するかが記されています(イザ9:6)。イエスは、罪と咎めの悪循環を打ち砕くためにこの世に来てくださり、「その十字架の血によって」人を神と和解させてくださいました(コロ1:20)。私たちが起こしたすべての問題の責任を負ってくださり、その咎めを受けてくださいました。十字架の赦しを自分のものとして、福音をみんなに伝える同労者を今、イエスは募っておられます。
 
神の赦しを自分のものにすると、「人を赦したくない」という気持ちが消えていきます。そして神と平和に生きていると、誰とでも平和に生きていきたくなります。このクリスマス、この平和の贈り物をいただきましょう。また、みんなに差し上げましょう。

(Julie Ackerman Link)

イエスは平和を与えるために私たちの身代わりになられた。