1年で聖書を!
◆ ゼカリヤ書9-12
◆ 黙示録20
◆ ゼカリヤ書9-12
◆ 黙示録20
聖書のみことば ハバクク書3:11-19
しかし、私は主にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう。
―ハバクク書3:18
―ハバクク書3:18
この世の人生は楽ではありません。ふと「神はどこにいるのだろう」と思ったことはないでしょうか。不正義が行われているのに神は黙っておられる、と思ったこともあるかもしれません。私たちは、困難に対する応答の仕方を選ぶことができます。預言者ハバククの態度を模範にしましょう。彼は、「喜ぶ」という選択をしたのです。
ハバククは、ユダの人々の道徳と霊性が急激に堕落していくのを目の当たりにし、深く悩みました。しかし、神のメッセージは、彼をさらに苦悩させました。神は、邪悪なバビロン帝国を用いてユダ王国を罰せられるのです。ハバククは事の詳細を十分には理解できませんでした。しかし、彼は喜ぶことができました。なぜなら、神の知恵、神の義、そして、神の主権を頼りにすることを、すでに学んでいたからです。ハバククは、「しかし、私は主にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう」ときっぱりと断言して、この預言書を結びました(ハバ3:18)。ユダ王国がどうやって生き残れるのか、ハバククには分かりません。しかし彼は、不義と苦しみと敗北の真中にあって、それでも神を信頼することを学んでいました。彼は、神だけを信じる信仰によって生きました。このような信仰によって、自分を取り巻く状況に左右されずに、神を喜ぶことができました。
私たちも、試練の中にあっても喜び、地に足のついた確信を持ち、神の主権の高嶺で生きることができます。
試練の中で神を賛美するなら、重荷は祝福に変わる。