1年で聖書を!
◆ レビ記17-19
聖書のみことば Ⅰサムエル記4:1-11
 
私は主に申し上げよう。「わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神」と。―詩篇91:2

契約の箱(天幕の中に置かれ、神の御座を象徴するもの)をめぐっては、誰も彼もが勘違いをしていました。イスラエルはペリシテ人との戦いに敗れると、「契約の箱をわれわれのところに持ってこよう。そうすれば、それが…われわれを敵の手から救おう」と言って、シロヘ使いをやりました。

契約の箱がエベン・エゼルのイスラエル軍の陣営に到着すると、全イスラエルは大歓声を上げ、それがアフェクに陣営を張っていた敵陣まで聞こえました。するとペリシテ人には恐れが、イスラエル人には勇気が芽生えました。

ところが、これは勘違いでした。イスラエル人は、戦場に契約の箱を持ち込みましたが、またもやペリシテ人に打ち負かされ、神の箱は奪われました。一方、ペリシテ人は病に打たれ、彼らの偶像の神は倒れてしまいました。

ペリシテ人の信仰は偶像礼拝なので、あんな勘違いは当然かもしれませんが、イスラエル人は、もう少しましでなければならないでしょう。彼らは契約の箱の扱いについて、神の判断を仰ぐべきでしたが、そうしませんでした。彼らは、契約の箱が過去に戦場に運ばれたことを知っていましたが(ヨシ6章)、エリコを破ったのは契約の箱ではなく、神のご計画でした。イスラエル人はそのことを忘れてしまったようです。

私たちがいかなる財産や才能を持っていたとしても、神のご計画に沿って使わないなら、成功することはできません。神のみことばを学んでみこころを知り、方向性について祈り、神の導きを信じましょう(詩91:2)。信仰によって踏み出すときは、まずそうしましょう。

(Dave Branon)

人は一部分しか見ることができないが、神は全体を見られる。