1年で聖書を!
◆ Ⅱ列王記18-20
聖書のみことば Ⅰコリント16:1-12
 
働きのための広い門が私のために開かれており、―Ⅰコリント16:9

デンマークの哲学者セーレン・キルケゴール(1813年~1855年)は、「願いがかなうとしても、富や権力は望まない。ただ、いつまでも情熱的に可能性を見つめる若い目が欲しい」と書いています。

使徒パウロはいろいろな状況の中で、宣教の大いなる可能性を見いだしました。彼は、キリストを証するために神が開いてくださった扉を見逃しませんでした。シラスとともに牢に入れられたときは、ピリピの看守に福音を伝えました(使16:25-34)。エルサレムで捕らえられ、総督ペリクスの前に立たされたときも、それを福音を宣べ伝える機会としました(使24:24)。後にローマで投獄されたときでさえ、ピリピの教会の人たちを励ますために用いました(ピリ1:12-18)。

パウロはコリントの教会に宛てた手紙で、彼らを訪問してしばらく滞在したいが、宣教のために五旬節まではエペソに滞在するつもりだと書いています。そして、その理由は、働きのための広い門が開かれているからだと言っています(Ⅰコリ16:8-9)。また、コロサイのクリスチャンたちには、神が門を開いてくださってキリストの奥義を明確に語れるように祈ってほしいと懇願しています(コロ4:3)。

神がミッションのための扉を開いてくださるよう願いましょう。そうすれば、驚くようなことが起こるかもしれません。

(Dennis Fisher)

「機会」と書かれた門の裏側には「責任」と書かれている。