詩篇の筆者は、神の造られた天を見ながら、「人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは」と記しています(詩8:3-4)。これは、旧約聖書に渦巻く問いかけです。モーセは、神があなたのことを心にかけておられると何度も民を説得しました。それでも、エジブトで奴隷として酷使されていたイスラエルの民は、その言葉を信じることができませんでした。「伝道者の書」の筆者は、冷めた目で問いかけます「…人に何になろう」(伝2:22)。

私自身が同じような疑問を抱いていたとき、イザヤ書49章16節「わたしは手のひらにあなたを刻んだ」を主題にした集会に講師として招かれました。

このみことばは、神の民がどん底の状態にあったときに述べられたものです。イザヤが預言したように、ユダの人々はバビロンに捕え移されようとしていました。イザヤの預言を聞いた人々は、「主は私を見捨てた。主は私を忘れた」と深く悲しみました(イザ49:14)。ところが神は、この嘆きに応えて次々と約束を与えてくださいました。それは「しもべの歌」と呼ばれるイザヤ書42~53章に記されています。これは、彼らが恐ろしい敵から解放される、という希望を前もって予告したものです。神は、主のしもべが肉体をもって現れ、犠牲となって死ぬことをあらかじめ知らされました。

神にとって私たちは大切な存在だろうかという問いに対する答えは、クリスマスに表われています。「見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける」(イザ7:14)。これが、神の返事です。