去年の夏、私たちの教会はカレブという若者を副牧師のひとりとして招聘(しょうへい)しました。カレブ牧師はコスタリカ育ちで、家族はそこで神に仕えるクリスチャンです。彼はテモテへの手紙第二3章14~17節を引用しながら、自分の生い立ちを語り、幼いころから聖書に親しんでいたと言いました。父も母も、彼に聖書の真理を教えました。聖書が彼に、「知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救い」(15節)へ導いてくれたのだといいます。カレブは、牧師になるための準備は子どものときから始まっていたと感じていました。

教会の人たちはテレビ電話を使って、コスタリカに住む家族と話をしました。そのときカレブのお父さんは、イエスがご自身について語られたマルコ10章45節を引用し、次のように語って息子を叱咤激励しました。「カレブ、我が家のモットーを覚えていなさい。私たちは、仕えられるためでなく、仕えるためにこの世に来たのです。」

私たちは、この父にしてこの子あり、だと思いました。カレブが若いにもかかわらず、これほど成熟した信仰に生きているのは、まったく道理だと思いました。

神が委ねてくださった子どもは、貴重な賜物です。良い土台をすえてあげることは、「すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者」(Ⅱテモ3:17)へと成長していく助けとなります。神の助けによって、信仰のバトンを次の世代に渡していきましょう。イエスが仕えるように、神と人とに仕えられるとは、何と素晴らしい特権でしょう。