Month: 4月 2015

さあ行け!

アムステルダムの大ホールで1986年、世界的に著名なビリー・グラハム師が、1万人以上の伝道者や牧師に向かって講演しました。私もそこにいて彼の体験談に耳を傾けていましたが、「メッセージを語るために神の民である会衆の前に立つたびに、震えて膝ががくがくします」と語られるのを聞いておどろきました。

不正な管理人のたとえ話―ルカ16章

このたとえ話は、要するに、イエスの弟子になりたいなら、ただの良い人では全くダメだと言っています。献身的であったとしても、まだ不十分です。イエスの弟子と呼ばれたいのなら、「抜け目の無い人」にならなくてはなりません。

イエスは、自分の地位を利用し、財力を利用して、あなたを永遠の家に迎えてくれる友だちを作りなさい、と言われました。つまり、投資の対象として最も良いものは、株でも国債でも土地でもなく、「人だ」と言われたのです。

mp3音声メッセージ

 

―ハドンロビンソン イエスのたとえ話―

「英語圏でもっともすぐれた12人の説教者」のひとりに選ばれたハドンロビンソン博士が、イエスのたとえ話に込められたたぐいまれな奥義を語ります。

悪い心を持った良い人―ルカ15章

人はありとあらゆる理由で道に迷い、いなくなってしまいます。大都会の辛い生活で、アルコールや麻薬のせいで道をはずしてしまった人がいます。その人は、近くに教会があっても、近寄ろうともしません。

一方で、まっとうな生活をしていても、「いなくなっている」という人もいます。教会の礼拝にきちんと出席して、しっかり規則を守っていても、荒れた生活の人と同じぐらい、神の前から「いなくなっている」人がいます。

しかし、父はその両方の人たちを愛しておられます。父のあわれみは、両方の人に向けられています。

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―ハドンロビンソン イエスのたとえ話―

「英語圏でもっともすぐれた12人の説教者」のひとりに選ばれたハドンロビンソン博士が、イエスのたとえ話に込められたたぐいまれな奥義を語ります。

愚かな金持ち―ルカ12章

将棋は人生に似ています。私たちはみんなゲームのプレーヤーですが、大多数は歩兵(ふひょう)で、一歩ずつしか進めません。一方、角行(かくぎょう)には威厳があり、飛車には力があります。桂馬は、他の駒を飛び越えて動けます。もちろん、金や王将は最強です。しかし、これらの駒はゲームが終わるとみんな同じ箱に入るのです。

私たちは自分の人生を見つめ「何のために生きているのか」と自ら問いかけなければなりません。そして、自分はいずれ死ぬという事実に照らして、懸命に富を蓄えることにどれほどの価値があるかを見極めなければなりません。「自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです」とはそういう意味です。

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―ハドンロビンソン イエスのたとえ話―

「英語圏でもっともすぐれた12人の説教者」のひとりに選ばれたハドンロビンソン博士が、イエスのたとえ話に込められたたぐいまれな奥義を語ります。

いなくなった羊、なくした銀貨、いなくなった息子―ルカ15章

もし、イエス・キリストが今日、1900年前と同じように人となってこの世に来られたら、自分の教会の教会員になって欲しいと思う人たちは、少ないでしょう。聖書を信じる福音的な教会の人たちでもそうです。ましてや、教会の役員や長老になって欲しいとは決して思わないはずです。それもそのはず。イエスは、まじめな人ならば行かないような所に足を踏み入れ、きちんとした人ならば付き合わないような人と交流しようとされるのです。

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―ハドンロビンソン イエスのたとえ話―

「英語圏でもっともすぐれた12人の説教者」のひとりに選ばれたハドンロビンソン博士が、イエスのたとえ話に込められたたぐいまれな奥義を語ります。

ハッピーエンド

友人が昔、娘が遊んでいるそばで、アメフトのテレビ中継を見ていたときのことです。ひいきのチームの不甲斐ないプレーにカッとなり、そばにあった物をつかんで床に投げつけると、娘のお気に入りのおもちゃが粉々になりました。友人はすぐに娘を抱きしめて謝りました。そして新しいおもちゃを買い与えて、すべて解決したと思っていました。けれども、自分の行為が4歳の娘をどれほど怯えさせ、その心をどれほど傷つけたか、本当のことは分かっていませんでした。しかし、やがて和解のときが来ました。

不可能に直面する

私たち夫婦が築40年の自宅を売りに出したとき、イギリスの不動産価格は下がっていたにもかかわらず、2週間後には良い値で買い手が付きました。私は家を相続したので改築して移り住むことにし、施工業者が工事を始めました。しかし、自宅の売買は、契約が完了する数日前に買い手が手を引き、流れてしまいました。私たちは途方にくれました。二軒の家を所有しているものの、その片方は値が落ちていて、もう一方は、そのままでは売ることも住むこともできない廃屋です。新しい買い手が見つかるまでは、改築業者に払うお金もありません。どうすることもできない状況でした。

走り寄る父

息子の帰りを待ちわびていた父は、毎日、家から延びる道の向こうを見ていました。そして夜になると、がっかりして床に就きました。しかし、ある日、小さな点が見えました。やがて赤く染まった空に人影が見えました。あの子ではないだろうか…歩き方に見覚えがあります。そして、あの子にちがいないと思うや、「まだ家までは遠かったのに…彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけし」ました(ルカ15:20)。中東の文化では、族長が走るなどということは威厳を損なうことでしたから、これは尋常ではありません。しかし、この父は、息子が帰還した喜びを抑えきれませんでした。

神の世界

息子が誕生日のプレゼントに世界地図を欲しがっていたので探していると、地域の特徴がイラストでカラフルに描かれたものを見つけました。パプアニューギニアの上には蝶が飛び、チリには山脈、南アフリカにはダイヤモンドが描かれていました。とても気に入りましたが、地図の下に「私たちの世界」と書かれていたのが気になりました。