イタリア人画家カラヴァッジョ(1571-1610)は、聖人を描くときに、普通の労働者をモデルにしました。それで、絵を見る人たちは、自分が絵の一部のように感じたのです。「エマオの晩餐」は、立っている宿屋の主人の横で、自分たちと食卓をともにしている人が復活されたイエスだと気づいたふたりの弟子を描いています (ルカ24:31)。ひとりは椅子に手をついて立とうとし、もうひとりは驚きのあまり両手を大きく開いています。

ルカの福音書は、その後のことを「すぐさまふたりは立って、エルサレムに戻ってみると、十一使徒とその仲間が集まって、『ほんとうに主はよみがえって、シモンにお姿を現された』と言っていた。彼らも、道であったいろいろなことや、パンを裂かれたときにイエスだとわかった次第を話した」と記しています(33-35節)。

オズワルド・チェンバースは、「来られるかもしれないというときに、イエスが来られることはめったにない。主は思いがけないときに、それも、論理的にはありえないと思うようなつながりで、突然、姿を現される。働き人が主に忠実であることのできる唯一の方法は、主の不意の訪問に対して準備を整えておくことだ」と語っています。

今日、私たちがどんな道を歩んでいたとしても、イエスの思いがけない訪問に準備が整っていますように。