ある忙しい朝、教会の保育室で奉仕をしていました。十数人の子どもたちが、しゃべったり、遊んだりしていて、部屋が暑苦しくなってきました。そこで、ドアストッパーを下ろして扉を開けると、ひとりの男の子が逃げ出すチャンスだと思ったのでしょう。誰も見ていないと思って、こっそり抜け出しました。そして、後を付けていくと、思った通り。彼はパパの腕の中にまっすぐ飛び込んで行きました。

毎日が忙しくて圧倒されそうなときは、この子を見習うべきです。彼は喧噪からそっと逃れて、父のもとに行きました。イエスも、祈りながら御父とともに過ごす時間を意識されました。イエスは人として来られたので、群衆の要求によって活力が消耗され、その対処法が、こうだったのかもしれません。イエスがひとりになろうとされた時、人々が後を追って来ました(マタ14:13)。そこでイエスは、彼らをあわれみ、病を癒やし、食べ物を与えられました。しかしその後は、祈るために、ひとりで山に登られました(23節)。

イエスは何度も多くの人たちを助けられましたが、やつれた顔や忙しそうな顔をされたことはありません。祈りによって神とつながり、神に養われていたからです。あなたは、神とふたりで過ごす時間をとって、力や満たしをいただいていますか。