私たち夫婦は近所の男の子アランとハイキングに出かけました。アランが蛇は出るかと尋ねたので、私は「出たことは無いけれど、とにかく神の守りを祈ろう」と言い、一緒に祈りました。歩き始めて数分後、妻が突然、後ずさりしました。前方にとぐろを巻いた毒マムシがいたのです。私たちは蛇が遊歩道を離れて行くのを見送り、ほっと溜息をつきました。そして、何事も無かったことを感謝して祈りました。
アランの質問によって、私たちは心に備えができていたのでしょう。それは神の御業で、私たちの祈りは、神の摂理的な配慮の一部だったと思います。
間一髪で難を免れたその日、私は「主とその御力を尋ね求めよ。絶えず御顔を慕い求めよ」(Ⅰ歴代誌16:11)というダビデの忠告を思いました。これは、契約の箱がエルサレムに戻ったことを祝う詩篇の一節ですが、神が歴史を通して真実を尽くされたことを忘れず、常に主をたたえ、主に助けを求めなさいと促しています(35節)。
「御顔を慕い求める」とは、平凡な時でも神に心を向けるということです。私たちの願いごとと祈りの答えが一致しないこともあります。しかし、神は何があっても真実なお方です。私たちの良い羊飼いは、ご自身の慈悲、力、愛の内に私たちを保ち、私たちの歩みを導いてくださいます。さあ、このお方に頼ることを宣言しましょう。
わが主、わが神、恵みたまえ。
ただ頼りゆくわが身を。
(Robert Lowryの言葉、讃美歌525番)
祈りはたゆまず前進する力を授ける。
(Oswald Chambersの言葉)
(Oswald Chambersの言葉)