けがの後遺症で慢性的な痛みに20年以上も苦しめられています。激痛の中で神を信頼し賛美するのは容易ではありません。しかし、耐えがたい状況の中でも、神の臨在は私を慰め力づけてくれます。神はとこしえに良きお方であり、御力は無限、御恵みによって平安をくださいます。不信仰の誘惑に駆られるとき、私はシャデラク、メシャク、アベデ・ネゴを思い出します。彼らは非常な逆境の中で真の神を礼拝し、神がともにおられることを信じました。
ネブカデネザル王は金の像を拝むようにこの3人に強要し、逆らえば火の燃える炉に投げ込むと脅しました(ダニ3:13-15)。この3人の勇気とブレない信仰は目を見張るばかりです。彼らは、神が自分たちを迫害から救い出されなかったとしても(18節)、礼拝すべきお方は主だということを、決して疑いませんでした(17節)。神は彼らを放っておかれませんでした。彼らとともに燃える炉の中にいて、彼らを守られました(24-25節)。
神は私たちのことも、放っておかれません。ネブカデネザルの炉と変わらないぐらい破壊的だと感じる試練のときにも、神は私たちとともにおられます。この世では終わらない苦しみを抱えていたとしても、神は常に力あるお方、信頼に値する善良なお方です。神の愛と臨在は絶えることがなく、いつでも頼りになります。
主よ、どんなことが起こっても、いつもともにいてくださることを感謝します。
信仰とは状況ではなく、全知全能の神の変わらない品性を頼りとすることだ。