ずいぶん昔のことですが、就寝前の祈りの後、2歳の娘が「ママ、イエスさまはどこにいるの」と尋ねました。妻は驚いて「天国よ。それから、どこにでもよ。今ここにもおられるわ。お願いすれば、あなたの心の中にもいてくださるのよ」と言いました。「イエスさま、私の心にいて欲しい」と娘。「いつかお願いしましょうね」と妻が応じると、娘は「今、お願いしたい」と答え「イエスさま、私の心に来て、いっしょにいてください」と祈りました。それが彼女の信仰の始まりでした。

誰が天国で一番偉いのかという弟子たちの質問に対し、イエスは「あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、入れません。…また、だれでも、このような子どものひとりを、わたしの名のゆえに受け入れる者は、わたしを受け入れるのです」(マタ18:1-5)と言われました。

イエスが言われたように、幼な子の信仰を信仰の模範と見ることができます。また「子どもたちを許してやりなさい。邪魔をしないでわたしのところに来させなさい。天の御国はこのような者たちの国なのです」(マタ19:14)のみことばどおり、私たちは主に心を開く人すべてを歓迎するように命じられています。