
不変の愛
車のドアをバタンと閉めて校門に入っていく小学6年生の私に、父は「愛しているよ」と声をかけました。私たちは何か月も毎朝、同じせりふを繰り返していました。父は「いってらっしゃい。愛しているよ」と言い、私は「じゃあね」と素っ気ない返事をしました。別に怒っていたわけでも、父をないがしろにしていたわけでもありません。ただ自分のことで精一杯で、父の言葉を気にする余裕が無かったのです。しかし、父の愛情は変わりませんでした。

住まい
不動産業を営んでいた友人のパツィーが、がんで亡くなりました。夫婦で思い出話をしていると、パツィーに導かれてイエスを信じた友人のことを思い出しました。パツィーは、この町で良い家を見つけられるように人々を助けてきましたが、それに留まらず、誰もが永遠の住まいを確保できるように尽力しました。その姿を思い出すと心が温まります。

神の隠れた手
友人は、アメリカ人宣教師の養子になりガーナで育ちました。家族で帰国し大学に入りましたが、中退を余儀なくされました。その後、軍隊に入り学費を賄えたので復学し、同時に世界を回りました。神は、彼を準備されました。現在、友人はキリスト教文書の作家、編集者として、世界中の人々のために働いています。

孤独なクリスマス
今までで最も寂しかったクリスマスは、15歳で親元を離れ、家から1,000キロも離れたガーナ北部の祖父母の小さな家で過ごしたときです。それまでは、両親や兄弟、村の友だちがそばにいて、クリスマスは盛大で思い出がいっぱいでした。しかし、その年のクリスマスは寂しいものでした。その日の早朝、私は床(ゆか)に敷いたマットに寝そべったまま「今年も終わりだ、クリスマスがやってきた、神の御子が生まれた、すべての人に平安と喜びを」という地元のクリスマスソングを思い出し、悲しい気持ちで何度も繰り返して歌いました。すると祖母が来て、何の歌かと尋ねました。祖父母は、クリスマスも、キリストも、全く知りません。そこで私は自分が知っていることを話しました。その瞬間、私の孤独に光が差したのです。
