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信仰と美徳:高山右近

2016年1月22日には、バチカン(ローマ法王庁)から「福者」に認定された、キリシタン大名・高山右近。彼は、どんな人生の歩みをしてきたのでしょうか。

高山右近は、1552年、摂津の国高山(現在の大阪府豊能郡)に生まれました。12歳のときに父飛騨守(洗礼名ダリオ)の影響で洗礼を受け(洗礼名ユスト)、その後高山親子は芥川城を経て、1570年頃高槻城に入ります。1573年、父飛騨守が城主となり、同年続いて右近が21歳で高槻城主となりました。

フロイスの『日本史』にはこう書かれています。「高山右近の領内におけるキリシタン宗門は、かってなきほど盛況を呈し、十字架や教会が、それまでにはなかった場所に次々と建立された……五畿内では最大の収容力を持つ教会が造られた」。

1581年、高槻の領民25,000人のうち、18,000人(72%)がキリシタンだったというのですから、驚きです!

晩年は、豊臣秀吉によって施行されたバテレン追放令により、信仰をまもることと引き換えに、当時領主だった明石船上城の領地と財産を全て捨て、肥後の国・小豆島などに隠れ住んだ右近。

1588年には、加賀金沢城主前田利家に招かれ、かの地に26年間居住します。キリシタン信仰を貫きながら、一方では加賀藩の重臣でもあった彼は何を考え、どのような日々を生きていたのか。この問いは多くの人の好奇心をかきたてるようで、北國新聞社が「加賀百万石異聞・高山右近」として2002年に連載を開始するなど、郷土史研究のもとに探索が続いています。

1614年、徳川家康によるキリシタン国外追放令を受け、加賀を退去した右近は、長崎からマニラに渡り、フィリピン総督に大歓迎を受けましたが、病により翌年1615年に息を引き取りました。

それから、400年。2016年1月22日には、バチカン(ローマ法王庁)が「福者」に認定。高槻市もゆかりの地を紹介するパンフレットを作製し、同市立「しろあと歴史館」もPRに乗り出すなど、にわかに、右近ブームが起きました。

また、イタリア人女性監督のリア・ジョバナッツィ・ベルトラミさん(48歳)は、ドキュメンタリー映画『右近サムライ 剣の道、十字架の道』(イタリア語版43分、英語版37分)を制作。カトリック信仰を死守する一方、茶道など日本の文化にも通じていた右近の姿が描かれています。

財産や身分を投げうって信仰を貫いた右近の姿勢は、時代や国を超えて、人々の心を揺るがせ続けているのです。

【参考文献】カトリック高槻教会 http://www.catholic-takatsuki.jp/ukon_takayama/北國新聞社 http://www.hokkoku.co.jp/kagakikou/ukon/index.html右近の郷 http://ukon-no-sato.com/ukon.html毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20160607/k00/00m/040/003000c

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万民を歓迎する神

私たちの教会は小学校の校舎で礼拝をささげています。元々は白人の小学校でしたが、黒人の児童も入学させるようにという裁判所の命令を不服として1958年に一旦閉校しました。しかし翌年、再開され、その学校に、現在、私たちの教会で礼拝するエルバが黒人の児童のひとりとして転校させられました。彼女は、安全なコミュニティーや親しい先生たちから引き離され、もうひとりの黒人児童とともに恐ろしい環境に置かれました。彼女は、周りと違うという理由で辛酸を舐めましたが、勇敢で信仰深い、寛容な人に成長しました。彼女のあかしは重々しいものです。誰もが人種や出生にかかわらず神に愛されているのに、この真理を拒絶する世間の人たちのひどい仕打ちを乗り越えてきたからです。

主はどのようなお方か

昨年、私たちはがんで闘病中の3人の女性のために祈りました。神は癒やす力をお持ちだと知っていたので、私も友人たちも毎日祈りました。主が病気を癒やされたケースを知っていたので、今回も同じことが起こると信じていました。回復の兆しを見て喜んだ時期もありましたが、結局、秋には全員が亡くなっていました。この3人は、究極の癒やしを得たと言う人がいます。それは確かにそうです。しかし、私たちは喪失感で深く傷つきました。全員が癒やされて欲しかったのに、なぜか奇跡は起こりませんでした。

イエスの奇跡を見て、自分も何かしてもらおうとついて行った人がいました(ヨハ6:2、26)。自分たちの王が現れたと思った人(ルカ19:37-38)、偉大な教師だと言った人がいました(マタ7:28-29)。一方、イエスはただの大工の息子だとか(マタ13:55-58)、その教えは到底受け入れられないと思って去った人もいました(ヨハ6:66)。

イエスは私たちの願いを必ずかなえてくださるとは限りませんが、私たちの想像をはるかに超えたお方、永遠のいのちの与え主です(ヨハ6:47-48)。イエスは賢く良いお方。愛し、赦し、寄り添い、慰めてくださるお方です。そのイエスの内に憩い、このお方に従っていきましょう。

心配の対処法

法律を順守する真面目な人の留守電に、警察官を名乗る人の伝言があり、指定された番号に電話するようにといいます。身に覚えは無くとも何か悪いことをしたのだろうか、トラブルに巻き込まれたのだろうかと、心配で眠れない夜がつづきました。その後、連絡は無かったのですが、不安が消えるのに数週間もかかりました。